▲韓国光復軍なる言葉があって、一体なんだろう—と思った。
なにか、韓国人の頭の中にだけある軍隊らしい。
まぁ、それとインド国民軍を比較するって。
えっと、インド国民軍の創設には、日本の光機関という工作機関が関与している。
まず、この光機関とインド国民軍とのエピソードから。
--ここから--
インド国民軍についてちょっとしたエピソードがあります。
光機関の工作員が敵陣へ近づくと英印軍が射撃してきたため、インド国民軍の工作員が日本人工作員の前に立ちはだかり、大声で叫びました。
「日本人を殺すな。われわれインド人の独立のために戦っているんだぞ」
いったん射撃は止みましたが、また射撃してきます。
今度は日本人工作員が立ち上げって両手を広げヒンズー語で叫びます。
「同胞を殺すな。撃つならまず俺を撃て。俺はお前たちに話しに行くところだ武器は持っていない」
そうすると今度はまたインド工作員が再び日本兵の前に両手を広げて立ちます。
この繰り返しにとうとう相手は根負けし、
英インド軍の一個大隊すべてが寝返ってしまったというものです。
--ここまで--
日本は確かに英国の産業革命に100年も遅れた「ノロマな民族」だ。また、大航海時代の途中で自ら脱落しているひきこもりの民族ではある。
でも。
ノロマにはノロマなりの「意地」がある。
日本人より更にノロマなインド人を含め、「自分達の意地」を100年先行した欧米列強というものに見せつけたかったのだろうな。
以下、新聞から大幅に抜粋。
大東亜戦争(1941~45年)で、
韓国は日本と戦ってはいない。
しかも、自ら独立を勝ち取ったのではなく、米国の進駐で、棚ぼた式に日本統治の終わりを迎えた。
従って、歴史を正視すると永久に自信は取り戻すことができない。
自信を取り戻すには、
歴史の捏造が手っ取り早い。
ただ、もう少しリアルにしないと笑い話と化す。
《韓国光復軍は、英国軍と連合して1944年のインパール戦闘(作戦)をはじめ、1945年7月までミャンマー(ビルマ)各地で対日作戦を遂行した》
同種の記述が韓国の教科書にもあるが、2013年9月17日の光復軍創立73周年記念式典にあたり、
韓国メディアが光復軍に関し説明した件だ。
「光復」とは主権回復を意味する。
歴史の表舞台を袖で眺めていただけの光復軍に「歴史的意義」は薄い。
《韓国光復軍》は1940年9月17日、中華民国=国民党政権の臨時首都・重慶で立ち上げられた
朝鮮独立を目指す亡命政府=韓国臨時政府の武装組織だ。記念式典でも朗読された創軍宣言文は
「韓国と中国の独立を回復すべく共通の敵・日本帝國主義を打倒し、聯合国の一員として抗戦する」と、勇ましい。
動員計画は遅れに遅れ創軍1年目の兵力は300人に過ぎない。
米OSS(戦略諜報局)が協力し、朝鮮半島内の拠点で潜入工作員による破壊活動を実施する作戦を立てたが、日本の降伏が先になった。
結局終戦直後、米軍の軍政政府により武装解除された。
米国進駐で祖国が自動的に解放され、光復軍に実戦経験のない“戦歴”を与えた。
だのに、インパール作戦で英軍国と連合、ビルマ各地を転戦し、大日本帝國陸軍を悩ましたとは…。
確かに帝國陸軍は、
ビルマとインドとの国境の山岳地帯を8万~9万の兵力で突破する作戦を決行した。
しかし光復軍の戦力・組織成熟度に照らし、「インド・ビルマ工作隊」なる8~13人が、
帝國陸軍内の朝鮮系将兵への逃亡を促す敵対放送や捕虜尋問、敵文書翻訳など心理戦を行った?程度が精いっぱいだ。
いずれにせよ、韓国にしては不出来な“脚本”だった。
独立を自ら勝ち取った《インド国民軍=INA》の栄光の歴史を際立たせてしまった。
インパール作戦は結果的に、英国の軛からインドを解放した。
ただし、インド人は帝國陸軍に頼っただけではない。
INAを組織し、
帝國陸軍と共に英軍と死闘を演じた。総兵力4万5000人の内2万~6000人が作戦に参加し、
戦死・戦病死は3000~2000人。帝國陸軍も5万4000~5万人もの戦没者を出した。
日本の敗戦後、英国は将校3人への極刑を含むINA将兵2万人を、
英国王への反逆罪で裁こうとした。
ところが、これがインド人の独立への闘志を再燃させ、
一斉蜂起に至る。
英国海軍のインド系将兵も1946年、「INA海軍」を宣言し決起、
多数の艦艇を乗っ取った。
市街戦も激化し、英国はインド独立を認めざるを得なくなる。
インド国民は日本を称讃して止まない。靖国神社の資料にはこうある。
P.N.レキ最高裁弁護士「太陽の光がこの地上を照すかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、
夜空に星が輝くかぎり、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない」
S.S.ヤダバ元INA大尉(INA全国在郷軍人会代表)「われわれINA将兵は、
インドを解放するために共に戦った戦友として、戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対して
もっとも深甚なる敬意を表わします。
インド国民は大義に生命を捧げた
勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまでけっして忘れません。
我々はこの勇士たちの霊を慰め、御冥福をお祈り申し上げます」
実際、昭和天皇陛下崩御に際し、インドでは政府関係の庁舎や国会など、3日~1週間にわたり半旗が掲げられ、大統領の呼び掛けで国民は喪に服している。
自国の歴史に自信が持てる国は外国にも敬意を払う。
自信がない国は外国に歴史改竄のお先棒を担いでもらう。
中国・重慶の光復軍総司令部の復元や、駐屯した西安に記念碑を作る計画を、韓中両国が協議している。
中国を後ろ盾に、“歴史”に箔を付ける企てのようだ。
全体、韓国臨時政府や光復軍は国民党政権の支援で樹立された。
この史実を黙殺して、
共産党に泣きつくのか。
このあたりが、韓国の哀史を一層哀しい物語に仕立てている。
共産党軍も帝國陸海軍と国民党軍が戦っている間、「長征」と強がって、
山奥に逃げ込んでいた。
日本と満足に戦わなかった韓国と共産中国は、どこか惹かれ合う。
光復軍がそれほど大活躍をしたのなら、光復軍で手柄を立てた人物が独立後、
韓国軍の要職を独占しても良いが、現実は異なる。
韓国陸軍創成期の陸軍参謀総長(第1~10代)は
全て帝國陸軍士官学校か、滿洲國陸軍軍官学校出身者。
ところで、光復軍総司令部跡に展示室を設ける計画もあるそうだが、展示品にはさぞお困りだろう。
武勲粉飾を続ければ、INAの存在や“戦歴”の眩しさの差を、若い世代に知らせる誘因になる。
もっともこの隠蔽部分こそ、真贋の境が消えた韓国史の、数少ない真実である。
▲補足、感想など
ふ~ん。
冒頭で韓国人の脳内軍隊か—と思っていたが、あることはあったようだな。
ただ、いかにもウサンクサイ。
いくら歴史を捏造したって、韓国国民に「プライド」とか「矜持」というものは生まれてはこない。
核心は、冒頭でふれた日本の光機関の工作員の「態度」で示されている。
民族としての「気概」とか「意地」のようなものがなければ、自国の歴史に輝きを与えることはできない--ということだ。
そうだな。
昨年か。中国の温家宝元首相は、2000億円もの蓄財を抱え、オーストラリアへ移住したそうだ。
中国国内の暮らしていくのも難しい程の環境悪化を尻目に。
こうしてみると。
中国人にせよ韓国人にせよ、まるで砂のような民族だな。
口では立派なこと、攻撃的なことをいうが、国民それぞれがまるで砂粒のようにバラバラだ。
自分の力で、自分の努力で国をよくしたいと考えているのではないのだ。
個人としては「環境のいい国」へ逃げ出したいと考えているということだ。<まるで寄生虫のような民族だと思わないか>
逆にいえば、民族としての「誇り」も「矜持」さえももっていない。
輝くような自国の歴史さえももっていない—ということであろう。
つまり。
民族としての気概をもっていない、民族としての輝くような歴史ももってはいない。
それ故に、逆に「つっぱった態度」をとるということであろう。
自分達の心の奥底にある「劣等感」を覆い隠すために。