2014年2月8日土曜日

東京裁判は米軍の日本人大虐殺をごまかすための裁判だった—と百田さん。

表題に対して、アメリカ政府が「不合理だ」と反論した。

 まず、思うのはアメリカ人と日本人との「感覚の相違」だな。
 核心はその民族としてもつ「しっこさ」—だ。
 アメリカ人って、復讐心というようなものをどこまでもどこまでも心の奥底に持ち続けるのだろうな。

 だから。
 日本人に対して、東京裁判の本質がとか、硫黄島の滑走路の下に、数万人分の日本人兵士の骨を埋めた—というようなことがあからさまになった時、日本人の「復讐心」に火をつけることになる--と恐れるのだろう。

 ところが。
 日本では、2011年の東日本大震災のような厄災が、くりかえしくりかえし発生するのだ。
 だから、しっこく、思いつづけることができない。
 それよりも、まずは再建だ、とりあえず食べるものと住むところを確保して—とか考えるのだ。

 これは昔からだ。
 江戸時代の終わり頃。
 台風で船とか家がこわれても、翌日、世間話などをしながら、なにごともなかったように後片付けをする日本人達について、アメリカ人があきれたような記述をしている。

 そんなことで。
 百田さんがなにを言おうと、別にそれが日本人のアメリカ人への憎悪を掻き立てるというようなことはない。
 要するに、東京裁判の核心はそんなことだったのだろう—としゃべっただけだ。

 筆者なら、どう思うかなぁ。
 日本は、15世紀から始まった「大航海時代」に、17世紀始めに自らドロップアウトして、以後300年近くも鎖国をした。
 鎖国には、功罪があって、功のほうは、今にいたるまで続く文化(生花、お茶、様々な美術工芸、武道など)を醸成したことだろう。
 罪は、やはり、英国で起こった産業革命に100年遅れたことだろうなぁ。

 この「産業革命に約100年遅れたこと」の影響が、実に20世紀の終わり頃まで続いたのだ。
 約130年か。

 逆に言えば、1870年頃から2000年頃まで、日本・日本人は、欧米諸国からは、「100年遅れの黄色いサル」だ—と思われていたということだ。

 百田さんがふれた「原爆投下、東京への爆撃」は、「日本人なんて、100年遅れの未開の黄色いサル」だと思わなければ、できないことだろうな。


 以下、新聞から抜粋。

 作家でNHK経営委員の百田尚樹氏が東京都知事選の田母神俊雄候補の応援演説で、 米軍による原爆投下や東京大空襲を批判し「東京裁判は大虐殺をごまかすための裁判だった」などと述べたことについて、 米国務省の報道官は、 「不合理な示唆だ。日本の責任ある立場の人々は地域の緊張を高めるようなコメントを避けることを望む」と反論。

 米タイム誌が、在日米国大使館の談話としてこの発言を報道。
 朝日新聞が米国務省に確認したところ、同じ文言の反論を国務省報道官名で回答した。

 百田氏は演説の中で、東京大空襲や原爆投下を取り上げ、「残虐な行為」などと批判。
 そのうえで「東京裁判は大虐殺をごまかすための裁判だった」と訴えた。


▲補足、感想など

 先日、海外の掲示板で。
 「世界最強民族と自認する日本人は、海外への留学など興味がないようだ」とかの書き込みがあった。
 なるほど、世界の人達から「世界最強民族と自認する」と日本人は思われているのか。

 いや、話がとこかへいった。

 東京裁判については、このブログでなんどもふれた。
 19世紀後半、明治維新というリセットを経て、日本は欧米列強に肩を並べるということを目標に、富国強兵、欧米化を目指して坂を登り始めた。

 日本は産業革命に遅れたが、また、大航海時代に自らドロップアウトしたことで、「帝国主義」という領土拡大策にも遅れた。<今でこそ、領土の大きさと国として繁栄するかどうかは比例するものではない—と理解できるが、大航海時代を経て、日の沈むことのないといわれた大英帝国の例もあり、領土の拡大=国の繁栄 とかんがえるのは自然であったろう。いま、韓国から日帝がどうたら非難されるが、19世紀までは普通のことだったのだ>

 まぁ、産業革命に帝国主義に、それぞれ遅れた日本は、性急に富国強兵に、領土拡大に走った。
 そういえば、明治の元勲達は、欧米列強に「数十年で追いつくはず」とか思ったらしい。
 以後、日本は日清戦争、日露戦争をへて、順調に富国強兵に邁進した。

 日清戦争・日露戦争を勝ったことで、日本も増上慢となったのだろうな。
 上でふれた「世界最強民族を自認」するようになったのだろう。
 しかし。
 対抗する欧米列強からは、冒頭でふれたように「100年遅れの未開の黄色いサル」としてしか見られていなかった。

 太平洋戦争とは、この「世界最強民族と自認する日本人」と「日本人を100年遅れの黄色いサルとしてしかみていない欧米列強」白人との「争い」なのだ。

 産業革命に100年遅れるということは、技術の差も当然あったのが、「富の蓄積」の差が段違いに大きかったのだ。
 それが、日本の敗戦の直接の原因であろう。

 東京裁判とは、「日本人を100年遅れの黄色いサル」としか見ていない欧米人が、「100年先を行く白人様」に逆らったという理由で裁いた「裁判」であった。
 a級戦犯の「戦争を起こした罪」なんて、上で説明した視点でしか生まれてこない発想であろう。

 戦争は善悪ではない。
 どうしても我慢できず、気に入らないから殴りかかったものだ。

 今、中国なんかがそう思っている筈だ。
 中国は英国の産業革命に200年も遅れた民族だ。
 欧米諸国から200年遅れ、日本からは100年遅れだ。
 日本人・欧米人から「この200年・100年遅れのノロマが--」と見られている。

 中国人は、日本人からの、欧米人からのそういう視線が気に入らないのだろう。
 また、自ら他国に遅れたことを自認するから、帝国主義的な国境紛争をアチコチで発生させているのだ。

 「この100年遅れのノロマが、生意気な・秩序破りなことをして」--と、日本人から中国人がそう見える。
 それと同じことを20世紀の始め頃、アメリカ人は日本人に向かってそう思っていたのだろう。

 これが、東京裁判というものの根底にある「欧米人からの視点であり、発想」なのだ。
 原爆の投下、東京への爆撃も、そのような視点の元でなされたのだ。
 記事では、百田さんが「大虐殺をごまかす」とか言っているが、誤魔化した—のではない。

 アメリカ人からみて、日本人は「100年遅れの黄色い未開のサル」だったのだ。
 しかも、クソ生意気で、貧乏な---

 だから、別に人間扱いしなくてよかったのだ。

 いや、別に筆者は、アメリカ人への憎悪をかきたてているつもりはない。
 20世紀半ばであれば、海外の国の情報量なんてしれている。
 事実、日本人は、戦後レジームなんていう、朝鮮系の人間による「日本人洗脳工作体制」を戦後70年近くも維持させてきたではないか。

 2000年以降のインターネットの日本全国津々浦々までもの普及によって、ようやく始めて、「戦後レジーム」を終焉させることができたのだ。
 
 1940年代なんて、情報操作は簡単だ。
 だからこそ可能であった「東京裁判」だ。

 いまさら、アメリカ人への復讐心がどうこうなんてことはありえないが、戦後70年近くなって始めて、東京裁判というものを「冷静」にみることのできる時代が来たのだなぁ、とも感じる。

※追記。

 上掲の記事、「米国大使館」が発言--となっていることを不思議に思わないか。

 でも、これは。
 あの口の軽いケネディ駐日大使がしゃべったものだろう。

 あまりに口が軽いものだから、ケネディ大使が言ったという言い方と、米国大使館が言った--という言い方を意識的につかって、ケネディ大使への「非難」が集中しないようにしているのだろうな。

 やれやれ。
 口の軽い大使をもつと、大変だなぁ。
 「米国大使館」と「ケネディ駐日大使」と使いわけたところで、「しゃべっている本人」は一人であろうに。