2014年2月18日火曜日

日本と中国とは2000年、友好的な関係を築いたことがない—と中国人。

いや、表題の通りだ。
 この2000年という間、日本と中国とは、ほぼ拮抗した状態になったことがない—という意味でもある。
 これまで。
 どちらか一方が強くて、一方が弱い—という状況だけなのだ。

 日本と中国が戦争状態になった—という機会はなんどもある。
 主に、朝鮮半島での話だが。

 7世紀の白村江の戦い、13世紀は元寇、15-16世紀は倭寇、また、豊臣秀吉の朝鮮出兵などか。
 中国軍に完敗したのは、白村江の「戦いか。
 後は、まぁ、引き分けということかな。

 そこから飛んで、19世紀末の日清戦争で勝利して、20世紀半ばの日中戦争では、拮抗し、その後の太平洋戦争では敗けた形になった—ということか。

 こうして振り返ってみると、中国軍とまともに戦って敗れたというのは、7世紀の白村江の戦いだけか。
 まぁ、倭国としての戦いだからな。
 この敗戦もあぅて、日本という国名を決めたものだろう。

 中国人が、先の大戦後、自ら「戦勝国民」とかいって、日本人に対応しようとするのは、このためなのだな。
 形の上で、まともに勝ったのが始めてだということか。
 歴史を振り返って、いつも、拮抗していたか、敗けたかしていたところを、始めて公式な形で「戦勝国」となった。
 ずっと日本に対して、日清戦争の敗北の経験をひきづっていて、今度は逆にそっくりかえるのだ。

 まぁ、中国人の気持ちも分からないではない。
 中国人と一括りにしても、歴史をみると、もう誰が本当の中国人やらさっぱり分からない。
 ある民族が国を建て繁栄していても、北から粗暴な遊牧民族が襲ってきて、国が混乱し民は逃げ惑う。
 文化の蓄積も雲散霧消してしまう。

 中国という国は、成熟ということがありえない国家だということだ。
 いつも未熟なままの国家であり、文化を蓄積しようと思っても、定期的に「文化大革命」のようなことがおこり、蓄積が破壊され、職人・文化人が殺害される。
 貴重な文化財まで殆ど破壊される。

 結果として、中国人はいつも未熟で粗暴な未教養人ばかりになる—ということなのだろう。

 最新の、文化の蓄積の破壊は、1960年から1970年代半ばまでの「文化大革命」だろう。
 1975年くらいを「文化の蓄積の再出発」と考えて、丁度40年くらいを経過したところだ。

 やっと40年か。
 なるほどなぁ、なにほどの「文化の蓄積」もない—ということなのだな。
 それこそ、なにもないところから、やっと40年でここまで来たということか。

 この文化大革命を日本の明治維新と比較することはできまい。
 日本の明治維新では廃仏毀釈というちょっとした混乱はあったとしても、江戸時代のものを破壊するとか捨て去るというようなことは起こらなかった。

 中国人のマナーの悪さ、行動の粗暴さ、礼儀知らずもその理由が分かるというものだ。
 極論すれば、野蛮人が礼服を着ているようなものなのだな。
 そんな民族が、原爆を持ち、巨大な軍隊をもっているということなのだ。

 こうしてみると。
 アメリカ人の中国人を見る視点は、危険極まりない—という気がする。
 なんというかな。
 文化を蓄積しはじめてやっと40年を経過したような民族を、普通の「常識人」扱いしている—そのリスクの高さに気がついていない—ということだ。

 今のオバマさんは(というより、その部下)の行動・言動は危ない。
 日本人は、2000年という「文化の蓄積」に乗っかって行動している民族だ。
 対して、中国人は40年という「文化の蓄積」に乗っかって行動しているのだ。

 この比較の意味が理解できるだろうか。
 はっきり言えば、中国人を教養ある常識人とみて、あつかってはダメだ—ということだろうな。
 オバマさんの視点はどうも危ない。

 日本は、オバマさんの言動によほど注意して本質から反れないように、揺すぶられないように気をつけよう。

 以下、新聞から抜粋。

 環球時報は張建剛・広東海洋大学海洋政治戦略研究室主任の記事「中日友好は一方的な願望か。
2千年来、 友好などなかった」を掲載した。
 張主任は、「今こそ日本人の『強い者にはひれ伏し、弱い者には威張る』という民族の性質をはっきりと認識する必要がある」と 呼び掛ける。

 張氏は、中国と日本の2000年来の付き合いを総括すると、中国人民と日本人民は1度も平等で友好な関係を結んだ ことなどないと指摘する。
 宋朝以前の強盛時代、日本は自らを中国の臣下と称し、一方の中国人は日本人を上客として扱い、文化や技術を惜しげもなく 伝授した。

 だが、明朝以降、中国が衰退を始めると日本人は中国を侵略し、略奪の限りを尽くした。
 第2次大戦が終わり、1972年に 国交を正常化した際、大局を考慮して中国政府は戦争賠償を放棄したが、日本はいまだに歴史問題や釣魚島(日本名:尖閣諸島) 問題で中国を挑発し続けている。

 こうした歴史や現実を振り返ると、中国と日本の「子々孫々の友好」を願っているのは恐らく中国だけで、中国の一方的な願望に すぎないように感じる。
 1月19日、自民党は憲法修正を明確に打ち出し、「不戦の誓い」を削除した。
 今後、新たな戦争を発動する時 のために「呪文」をなくしたのだ。

 中国と日本の新たな「甲午戦争(日清戦争)」が始まった。
 この新たな戦いにおいて、中国は日本を力の面でも精神的な面でも 打ち負かし、日本人を感服させる必要がある。


▲補足、感想など

 まぁ、プロバガンダのような記事だ。

 冒頭でふれたように、中国は「文化の蓄積が40年しかない」国なのだ。
 日本の2000年(なにか中国の4千年と大差のない言葉ではある。1500年位とかいってもいいのだが、もう定かではないので、まぁ、2千年で)に較べれば、薄っぺらい文化の国と言っても差し支えあるまい。

 また、英国の産業革命に200年も遅れたノロマな国家でもある。

 上で、40年の文化的蓄積しかない、200年遅れのノロマ—とか書いたが、別に中国という国を・中国人という民族を卑しめているというつもりはない。言わば、事実を事実としてだけ書いている。

 こう書くと、中国人は自分を卑しめているとかけなしている—とか思うようだ。
 このあたり、中国人は面倒くさいのだ。
 物事を見る時、「情」というものを絡めてしまう。
 もっと、はっきり言えば、「科学的思考」・「合理的思考」ができないのだ。

 上の記事を読むと、「情」というものに流され、つきはなしたような記述ができないことが分かるであろう。
 19世紀末の「日清戦争」というものを考えた時、日本と清との差が、この「合理的思考」「科学的思考」ができるかどうか—という点にあることに気がつく。

 確かに、今、21世紀を10年ほど経過したところだ。
 しかしながら、中国人という民族は、1975年からの文化の再蓄積を始めてやっと40年を経過したところなのだ。
 記事を読めば分かる如く、「合理的思考」すらもできない大学の主任が記事を書いている状況だ。

 こうしてみると。
 中国人は、なにもかもアンバランスなのだな。
 上で、野蛮人が礼服を着たようなものだ—と書いたが、外国からとりいれる「技術」とか「科学」とか「機械」を、うまく自分で扱うほど、習熟していないのだ。

 で。
 冒頭の感想に戻る。
 アメリカ人は、中国人をまるで教養のある「常識人」のように扱う。
 その「扱い方」の裏に、なにか大きな陥穽があるような気がしてならない。
 それはオバマさんの抱えているリスクでもある。