2016年11月1日火曜日

大川小学校の先生方は、スーパーマンではない

当たり前であろう。
 通常人が、スーパーマンのような行動が取れる訳があるまい。
 地震が発生して、津波が来るまで数十分の世界だ。

 その切迫した時間の中で、通常人が皆、正確に状況を把握して、正しい判断(結果として)ができる訳があるまい。
 なぜ、原告の人達は、個人攻撃がしたいのか?

 そりゃ、結果として、児童も先生方自身も亡くなった。
 でも、切迫した時間の中で、精一杯判断して、「生き残る手段」を探って判断したものなのだ。

 一体、この世界の誰が、先生方を責められるのだ?
 仮に原告の誰かが同じ立場にたてば、オレなら生き残れる—とか言うつもりなのか。
 津波てんでんこ—という地元の言葉の意味を噛みしめよ。

 まず、控訴するという記事から。

 東日本大震災で犠牲になった石巻市大川小の児童23人の19遺族への損害賠償を市と宮城県に命じた仙台地裁の判決を受け、市と共に控訴する方針を決めた村井嘉浩知事は、会見で「その場にいた教員を一方的に断罪するのは納得できない」と述べた。

 -主張が受け入れられなかったのはどの点か。
 「津波襲来の予見は不可能で、教員は知り得る限りの情報で最大の選択をした。
 判決は教員の責任を重くしており残念。亡くなった教職員10人の家族の気持ちも配慮しないといけない」

 「学校は避難場所になっており、逃げてきた高齢者らのことも考えないといけない。
 判決は、児童と高齢者を含む全員を安全に避難させようとしたであろう教員の努力を否定している」

 -結果的には84人の命が失われた。
 「震災では大川小に限らず、1万人以上が犠牲になった。行政の責任者として大きな責任を感じている」

 -予見可能性についてはどう考えるか。
 「広報車の声を誰が聞いてどう判断したか分からないが、あの時点では川の堤防まで行くのがベストと考えたのだと思う。
 今なら裏山に逃げれば助かったと判断できるかもしれないが、崩れてくる可能性もあった」

 -石巻市は市議会臨時会で控訴を正式に決めた。県議会の議決を経ずに専決処分する理由は。
 「学校設置者の市の判断を最大限尊重する。控訴期限が迫り議会を開く余裕もないため、私の専決で控訴する判断をした」

 -遺族は「控訴は子どもの命を見捨てていいと言うのと同じ」と訴えている。
 「子どもの命の重さを争っているのではない。津波襲来の予見可能性の有無と教員にどこまで責任があったかを争っている。誤解しないでほしい」

 -知事は震災後に現地を訪れた際、「救えた命」と語っていたが。
 「校庭から裏山を見た印象を述べたが、その時点では震災当日の状況を十分把握できていなかった。みぞれが降り余震が続く中、多くの児童と高齢者らを避難させなければならなかった状況は、後で分かった」

補足、感想など

 まぁ、知事の曰くは正論であろう。

 対して、原告側の記事をみてみよう。

 --ここから--

 「誰を信用すればいいんだ」。
 宮城県石巻市大川小津波訴訟で、市が提出した控訴関連議案が市議会臨時会で可決。
 「市議会の良心」を信じていた原告遺族は失望し、悲嘆に暮れた。

 結果が出た瞬間、傍聴席にいた遺族たちが泣き崩れた。
 「子どもたちを返して」。本会議での起立採決。遺族約20人の目の前で市議が立ち上がり、議案は賛成多数で通った。

 3年生だった長女香奈さんを亡くした中村まゆみさん(43)は「ショックで言葉になりません」と声を震わせた。一人娘の香奈さんとの料理が楽しみだった。
 卵焼きの作り方を教えると、「香奈もやってみる」と喜んで作った。
 生前の娘の姿を思い起こしながら言う。「これでは子どもたちが浮かばれない」

 亀山紘市長は臨時会で、控訴の理由を「現場にいた先生に重い責任を負わせるのは酷だ」と説明した。
 6年生だった三男雄樹君を失った佐藤和隆さん(49)は「市議会は、子どもの命を最優先に守らなくていいという議決をした。悔しくてならない」と怒りをあらわにした。

 東日本大震災から57カ月、提訴から27カ月。
 佐藤さんは臨時会の前、「子どもたちもこれ以上の不毛な争いは喜ばない。正常な形で話し合いがしたい」と思っていたが、その望みはかなわなくなった。
 臨時会で境直彦教育長は「判決の内容にかかわらず、防災教育の充実、強化に努めていく」と述べた。

 6年生だった長男堅登君を亡くし、4年生だった長女巴那さんが行方不明の鈴木義明さん(54)は「行政や教育委員会、議会がこのような対応をしていたら、今後も学校防災は変わらない」と語気を強めた。

 --ここまで--

 自分自身を考えてみよ。
 津波が来るまで、数十分しかない。
 その中で、児童の漏れはないのか確認し、安全な逃げ場へつれていかなければならないのだ。
 学校の先生方は、スーパーマンではない。

 普通の能力者なのだ。
 限られた情報、限られた時間の中で、懸命に判断したことだ。
 その判断が結果として、間違っていて、児童も判断した先生方自身も亡くなってしまったということだ。

 上の記事は、他者がスーパーマンではなかった--と不満を言っているように見える。
 こういう未曾有の災害で助かったという人達は、本当の「運のいい」人達だけなのだ。

 「運が悪かった」という言葉の中に、先生方がスーパーマンではなく、普通の能力者であったということを認め許容してあげるべきではないのか。

 a先生が、b先生が判断を間違えたのだ—式の個人攻撃となることに絶対に反対する。
 死者を鞭打つ所業をしてはならない。