2016年11月28日月曜日

テロリストに薔薇を ジャックヒギンズ著 早川書房 1991年5月 感想

うまい作家だなぁ、と思った。
 なんというか、終わり方がいい。

 それはそうと。
 小学生時代に先生から読書感想文を書けとか言われて、筆者などどうしていいのかさっぱり、分からなかった。
 そりゃ、なにかを読めばなにかを感ずるさ。
 でも、それをどう文章にするのか—というのは、小学生には無理なのではないのかなぁ。

 あぁ、小6で、12歳か。
 成熟のスピードが一番異なるタイミングではないのかな。
 できるものもいれば、からっきしという子供もいる。
 筆者など、からっきしという子供か。

 いや、話がとんでもないところにいった。

 少し、粗筋にふれながら、感じたことを箇条書きとしたい。

1.全体で言えば、冒険小説というジャンルかな。
 映画の009等をイメージしてもらえば分かる。
 ひたすらタフで、頭も切れるという男がでて、数々の修羅場をくぐり抜けて、目的を達するという小説だ。

2.一応、勧善懲悪という形にはなっている。
 悪の方は、フランクバリィというテロリストで、善の方は、ブロスナンとデブリン という男達だ。

3.冒頭はベトナム戦争で、ブロスナンが、アン・マリイという女性カメラマンを助けるところから入る。

4.一転して、その7年後、場所はヨーロッパ。
 フランクバリィというテロリストが暴れまわり、英国の情報部がブロスナンとデブリンにテロリストの暗殺を依頼するという展開となる。

5.フランス、イギリス、アイルランドと場所をかえながら、フランクバリィとブロスナン・デブリンが、対峙し、攻撃と防戦を繰り返すことになる。そこにアン・マリイが絡んでくるという筋書き。

6.ベトナム戦争が冒頭でてくることをみて、分かるように、タイミングは1970年代半ば、テロリスト、フランクバリィの背後には、ソ連のkgb がいる。

7.話の展開としてめまぐるしいのだが、なにか使い古された小道具を繰り返し見せられるように感ずる。
 冒険小説というものが、1980年代までの資本主義圏と共産主義圏との争い、第二次大戦くらいしか、舞台がないということなのだろう。

 銃とか機関銃がおおぴらに使える舞台が限られる、使う小道具に変化がない—ということだろうな。

8.冒険小説というものがなくなるとは思えない。
 ジャックヒギンズという作家の実力は認める。また、小説として小粋にまとめられていて、面白いことも認める。

 ただ。
 マイクル・クライトンの如き、「頭一つ抜けている」という感じを受けない。
 それは、知識の幅が狭いためであろう。<別の表現でいえば、背中にしょっている混沌の大きさがクライトンより、小さいということだろう>

 マイクル・クライトンという作家は、女性との性行為の最中に、女性がくしゃみをした—という「些事」から、話をこしらえることができる。
 そこから考えれば、ちょいと企業同士で喧嘩した—てなところからでも、冒険小説くらい書けそうだ。

 もう、使い古した「小道具」を何回も使おうという企てが無理なのだ—ということを表記の小説は、表しているのではあるまいか。