▲中国人に言われてもなぁ。
英国の産業革命に200年も遅れる大ノロマ民族から--か。
これだけ遅れれば、もう、まともなレシプロエンジンさえ造れまい。
まともなエンジンさえ造ることもできない民族から、偉そうに上から目線でものを言われる筋合いはあるまい。
まぁ、日本人が欧米諸国あたりから、そこそこまともに見られたのは21世紀になってからだな。
1980年代だったかなぁ。フランスの(だったと思うが--)技術者が日本人に頭を下げて教えを乞うなんて、絶対できない--とか言ったと新聞に載っていた。
まぁ、サルに教えを乞えるものか—という意味なのだろうな。
そういう時代を経て、今の日本があるのだ。
以下、中国の新聞から抜粋。
これまで、品質の低さ,作りの雑さで外国、中国国内の消費者からも見下された中国製品。
評判は徐々に高まりつつあるようだが、中国製品が「高品質製品」という誉れを受ける時代は、来るだろうか。
中国メディアは、「日本の製造業はかつて全世界から蔑視されていた」と記事を掲載。
記事は、今の日本製品は素晴らしい品質だが、日本製品がかつてはひどい品質で、劣悪な製品の代名詞になっていたと紹介。
まず、農業国だった日本は、明治に入って産業革命を実現、工業化を進めた結果1922年には工業収入が農業収入を上回るまでに発展した。
しかし、一方で、当時の日本の工業は「軍事にしろ民間にしろ、設計能力に欠け、まず模倣して、それから改良するという道をとった」。
また、工業は盛んになったものの、品質は低級品の代名詞に甘んじたとし、第1次世界大戦時に外国から大量の物資製造の注文を受けたものの、製品を受け取った各国からは怒りの声が出たと。
そして、状況は長く続き、欧州各国において日本製品に対する蔑視の風潮が生まれたと。
日本製品の品質が劣悪だった理由は、労働者の仕事環境が悪く、「作業場で飯を食わねばならず、ひどい環境で寝泊まりしなければならなかった」点を挙げた。
この状況は大正から昭和に入り、改善したものの根本的な解決に至らなかった。
そして、日本製品の品質が本当に高まったのは戦後に経済成長を成し遂げ、西洋の技術や管理制度を数多く採用するとともに、自らのイノベーション力が高まった1970年代以降の話であると。
記事は「どの国にとっても発展は長い道のりである」とし、「『憤青』のように毎日ひたすら不平を言ってばかりいてはダメなのである」と。
自らの至らぬ点に気づき、改善に向けて努力を払ってきたことで、今の日本の製造業に対する世界的な高い信頼が築かれたのだ。
今は評判が思わしくない中国の製造業だが、地道な真摯な努力を重ねればいつの日か多くの人から信頼される日が来ることだろう。
そのためには、記事が指摘した通り「文句ばっかり言っていてはダメ」なのだ。
一方、日本人が「われわれは最初から優れた品質の製品を作っていた」と考えているのなら、日本の製造業も先行きが危うい。
現代の日本人も、日本の製造業がどう発展してきたのかをしっかり学ぶべきだ。
大きく成長する努力が必要なら、それを維持していくにも努力は必要なのである。
▲補足、感想など
けっ、この大ノロマ民族が--。
英国の産業革命に200年も遅れて、1980年代に改革開放政策を始めて、やっと工業化し始めた国が。
今もって識字率40%程度で、国民の半数以上が文盲の国が---。
口だけは他者に向かって「ふんぞり返って」しゃべらずにはおられないのだな。もう、中国人のもつ業(ごう)のようなものか。
そうだなぁ。
日本の製造業がなんとかなったのは、昭和20年代半ば、アメリカのデミング博士から品質管理を学んでからだ。
これこそが、メイドインジャパンの名を高めた決定的な要因だ。
それまでは、記事にあるとおり、日本製なんて安かろう悪かろうだったのだ。
品質管理というものには、数学的素養が必要であったし、日々忍耐強く、記録をつけ続けるという「真面目さ」も必要だった。
その意味で、日本人には適性があり、デミング博士が狙った通りのことが、日本人ならできた—とも言えそうだ。
ついでながら。
デミングという人は、その能力が生まれ故郷であるアメリカからはとうとう認められず、不遇なまま亡くなったという人だ。
でも。
日本人なら、デミング博士のもつ「偉さ」「能力」をまっとうに理解することができる。日本人こそ、デミング博士のもっとも良き理解者であるとも言えそうだ。