2016年11月20日日曜日

奥野誠亮元法相がなくなる

ご冥福を謹んでお祈り申し上げます。
 昭和40年代から昭和の時代一杯ぐらいが働き盛だったのかな。
 終戦時で30歳くらいかな。日本が意図的に戦後に向けて優秀な人間を生き残した訳だが、奥野さんもその一人かもしれない。
 正論を真正面から言う人とでも言えば当たっているか。

 まず、韓国の新聞から抜粋。

 日本の代表的な政治家の1人で日本軍慰安婦問題について商行為だったと妄言した奥野誠亮(103)元法務相が老衰で死亡したと報じた。
 奥野誠亮は東京帝国大法学部出身で平和憲法の改正と靖国神社参拝などをずっと主張した。

 日帝強制占領期間、日本内務省で公職生活を始め政治に入門した1963年から200390才の年齢で引退するまで衆議院に13回当選した。
 これまで法務相、文部大臣、国土庁長官などを歴任した。

 彼は1996年、日本軍慰安婦問題について「慰安婦らは募集に参加した人々が商行為をしたもので、戦場に行く道で軍の交通便宜を受けたかもしれないが、軍が関与した事実はない」と妄言をして被害者らの怒りをかった。
 彼はこの問題について「日本政府はそんなに酷いことをしなかったので日本に対し自負心を持たなければならない」とも言った。
 これに先立ち国土庁長官を歴任した1988年には中日戦争について「日本に侵略意図はなかった」と言った発言に責任をとって辞任したこともある。

 昨年、読売新聞に載った回顧談で1945年、日本の敗戦宣言直前、内務省に勤めた自身の提案で日本政府が戦争責任追及を避けようと公文書を焼却したと証言し注目をあびた。

補足、感想など

 冒頭でふれた。
 正論を真正面が言い続けた硬骨漢とでも言えばいいのかな。
 慰安婦についての説明など、正論そのものだ。

 昭和30年代-50年代なんて、社会党等にevenki族の工作員国会議員が山ほどもいた時代だ。
 そういう戦後レジームの中で、記事にあるごとくの発言を続けた。

 もう、戦後レジームも完全崩壊して、日本人が日本にいるevenki族工作員達の言うことをまるっきり信じなくなった。
 そのことで、奥野さんの「侵略意図はなかった」という発言も現在なら充分に肯定されるであろうし、また、報いることができる時代となった。

 ウイキペディアから、政治家時代を大凡振り返ろう。

 --ここから--

 1963年(昭和38年)11月、第30回衆議院議員総選挙に奈良県全県区から自由民主党公認で立候補し、当選。以後、13回連続当選。
 政治姿勢は保守派であり、憲法改正や靖国神社参拝などを主張してきた。さらに、従軍慰安婦問題でも「従軍慰安婦は商行為」と発言し、積極的に反対論を展開していた。

 1972年(昭和47年)、第2次田中角栄内閣で文部大臣として初入閣。
 1980年(昭和55年)、鈴木善幸内閣で法務大臣に就任。1987年(昭和62年)竹下内閣では国土庁長官に任命され、土地対策にその手腕が期待されていたが、1988年(昭和63年)59日に衆議院決算委員会で日中戦争について「あの当時日本に侵略の意図は無かった」と発言して批判を浴び、513日に国土庁長官を辞任。「国士庁長官」などと揶揄された。

 その後も、裁判官弾劾裁判所長、衆議院倫理審査会会長、自民党憲法調査会最高顧問などを務めた。
 当選4回で初入閣を果たし、通算3度の入閣を経験している。
 法務大臣時代にはロッキード事件を擁護する発言で物議を醸した。

 --ここまで--