▲どうも、控訴するかいなかで紛糾しているようだ。
表題の「無用な争い」というのは、原告側の主張だ。
どこに核心があるのかな。
地震が発生して、津波が来るまでが数十分内だ。
その迫りくる時間、限られた情報の中で、結果としては自分自身も生徒達も亡くなってしまったとしても、「先生方の精一杯の判断」を「判断が間違っていた」と断じていいのか—ということだろうな。
表題でふれた通り、筆者は、次のように思う。
大川小学校の先生方はスーパーマンではない、普通の能力しかない人達なのだ。
普通の能力の人が、限られた時間・限られた情報の中で、判断したことを結果として最悪な形となったとしても、「判断ミスだ」「先生に責任があるのだ」等と、一体誰が断じることができるのか。
酷すぎるというものであろう。
以下、新聞から抜粋。
東日本大震災で犠牲になった石巻市大川小の児童23人の遺族が石巻市と県に損害賠償を求めた訴訟で、県議会全員協議会は30分足らずで終了。
傍聴した原告遺族は、控訴を決めた村井知事の説明に失望感を募らせ、議員との意見交換会で「控訴を断念してほしい」と訴えた。
「無用な争いはやめてほしい。宮城から、当事者同士の争いではなく子どもの命を守ることの大切さを発信していくべき」。意見交換会の冒頭、原告団長で長男を亡くしたiさんは思いを吐露した。
遺族は村井知事の控訴理由に反論した。
長女を失ったtさん(45)は「知事は『教員たちが川の堤防を避難先に選んだのはあの時点ではベストな判断』と発言したが、川の近くへの避難がベストということはあり得ない」と批判。
村井知事の「判決は教員を一方的に断罪している」という主張に対し、三男が犠牲になったsさん(49)は「判決が出た際、『先生を断罪』と表現したことはやり過ぎだった」と謝罪。
「亡くなった先生を責めているのではない。学校や行政の責任を問うている」と強調。
次女を失ったsさん(52)は、震災後に大川小を訪れた村井知事が「救えた命だった」と語ったことに触れ、「あれが知事の本心だったと思う。判決後の知事の言葉が胸に突き刺さり、つらい」と語った。
遺族との意見交換は、みやぎ県民の声と共産党県議団の呼び掛けで実現。
自民党・県民会議を含む5会派の計31人が出席。
議員からは遺族に同調する意見のほか、和解を探る提案などが出された。
息子が亡くなったsさん(55)は「息子はもう帰ってこない。市や県は起きたことを反省して受け入れ、次につながる学校防災を真剣に考えてほしい」と要望。
▲補足、感想など
何度でもいいたい。
未曾有の災害に直面し、地震発生から数十分以内にくる巨大な津波に対して、誰しも皆、正確な対応ができる筈もあるまい。
その不可能なことを、大川小学校の先生はできた筈だ—と原告側の主張は言っているように聞こえる。
それは、子供さんを亡くされた親の気持ちは分かる。
でも、だからといって、「引率した先生方が判断ミスをしたのだ」というのは、先生方を一方的に断罪していると思う。
この未曾有の災害の直面した「誰しもが等しく負担すべき」ことではあるまいか。
ついでに、裁判の記事も転記しておこう。
--ここから--
東日本大震災の津波で児童74人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の過失を争った訴訟は、児童23人の遺族が勝訴。
しかし、原告団からは「真相が明らかになっていない」「遺族に寄り添っていない」と声が噴出。
26日、仙台地裁が下した判決は被告側の市や県に対する計約14億2600万円の支払い命令。
原告側の求めは計約23億円だった。判決は市の広報車が「津波が松林を越えた」と高台への避難を呼びかけたことから、津波が大川小に到達する約7分前には襲来を予見できたと判断。
小走りで1分ほどの距離にある裏山へ逃げれば被災を免れることは可能だったと指摘。
ただ、遺族側が強く求めた地震発生から津波が襲うまでの「51分間」の詳細は明らかにされなかった。
■資料廃棄で説明ウヤムヤ
石巻市による調査などで明らかにされた状況はこうだ。
地震発生後、児童78人は1次避難場所だった校庭に待機。裏山への避難を望む児童や教職員の声があったが、学校側の指導で海岸に近い川沿いの三角地帯へ移動。
その直後に児童74人が波にのみ込まれた。しかも、調査は録音もされず、資料は廃棄処分された。
大川小訴訟を取材するジャーナリストは言う。
「原告勝訴とされていますが、判決後の原告団による会見は暗い雰囲気が漂っていた。
誰が三角地帯への避難を決断したか、なぜ資料を廃棄したか。どうして関係者は誰ひとり責任を負わないのか。
真相はヤブの中だから。遺族の中には〈なぜ勝ったのか分からない〉と口にする方もいました。被告側が守りたい部分は守られ、遺族側にも配慮した着地点を探り当てたという印象です」
昨年1月に仙台地裁が判決を出した常磐山元自動車学校をめぐる訴訟は、遺族側の全面勝訴。
担当したのは大川小と同じ高宮健二裁判長。
津波で亡くなった教習生ら26人の遺族が教習所を相手取り、約19億7000万円の損害賠償を求め、安全配慮義務に違反したとして被告側に計約19億1000万円の賠償を命じた。
しかし、双方とも控訴。
今年5月に和解。大川小の原告団は今後の対応を協議。
--ここまで--
冒頭で触れた通りだ。
大川小学校の先生方は、スーパーマンではない。
普通の能力しかない人達なのだ。
その普通の人達が、限られた時間・限られた情報の中で、生き延びるための精一杯の判断をしたのだ。
その精一杯の判断を、結果として自分自身も生徒達も亡くなるという最悪の結果となったとしても、だからといって、a先生が・b先生が判断ミスをしたのだ—と断罪していいものなのか。
そもそも、誰が誰を責めることができるのか。
じゃ、原告達は、自分自身なら、うまく生き残ることができた—とでも言いたいのか。
混乱が収まり、冷静な判断ができるようになった時点で、混乱の中で精一杯の努力をしていた人をあざ笑うかのような「言い方」だと感じる。