▲作画について技術的には大差ない—といったのであろう。
違いは、日本の新海誠さん、細田さんレベルの創造者が、中国では輩出しえない—ということであろう。
創造者として、背中に「巨大な混沌」という荷物を背負っていなければなるまい。
混沌の中身は、戦闘・本能・歴史・経済・エロ・科学・技術・政治・経済・戦争等のごちゃごちゃとなった文字通りの混沌だ。
そういうものがなければ、これは—というものは生まれてこない。
中国人には、そんなまだるっこしいことに耐えられまい。
えぃ、日本人のパクリをした方が簡単だ—てな発想をするだろう。
だから。
日本の宮崎さんレベルの創造者を輩出できないのだ。
そのうち、中国でもアニメが好きで好きで堪らない—という人間がでてくる。
その中に「キチガイ」がでてくるさ。
そのキチガイの中から、中国人の「創造者」が輩出されるだろうな。
でも。
まだまだ、そこまでいくには、相当、時間が掛かりそうだな。
以下、新聞から抜粋。
2016年11月24日、日本で大ヒットを飛ばし、中国でも公開が決まった映画「君の名は」の新海誠監督の発言に、中国のネットユーザーが反応を示している。
cnbetaによると、新海監督は、中国で開かれた発表会に出席し、中国のファンらと交流。
新海監督は、「北京に来たのは初めて。中国の人々が僕のことを知ってくれているとは思ってもいなかった」と。
また、日中のアニメ映画の差について話が及ぶと、中国の「大魚海棠」や「西遊記之大聖帰来
Monkey King Hero is
Back」の予告を見て、「日本の技術が中国を大きくリードしているとは思わない」とし、「ソフトにしても、技術にしても、基本的には同じレベルにある」と。
ただ、記事は「中国アニメと日本アニメの全体としてのレベルが同じ」と取ることには否定的で、「ソフトや技術はすでにグローバル化されている。技術の応用力と創作力こそが、作品のレベルを決める」としている。
ネットユーザーからも、
「お世辞でしょ」
「アテレコとBGMがやや劣っている。(キャラクターの)細かい表情にはだいぶ差があるね」
「アニメの質が日本と同じでもどうしようもない。声優は?ストーリーは?背景は?まだまだ全然だよ」
「エロと暴力を解禁しないと、中国アニメは永遠に日本アニメに追いつけない」
「日本アニメには創造力があって、声優の演技も秀逸だ。彼女たちの声を聞くのは楽しみでもある」
「中国アニメは技術を追求してきたけどそれは間違い。欠けているのはストーリーだよ」
「政治が干渉する中国アニメなんて要らない」
など、日本のアニメとはまだ差があるといった意見が相次いでいる。
▲補足、感想など
冒頭でふれた。
作画技術のようなところで、日中に差はあるまい。
核心は、創造者の背中にしょっている「混沌」の大きさの「差」だろうな。
こればかりは、単に本を読めばいい—というものではないし、時代とか政治がどうとか、環境などにも影響されるからなぁ。
解決方法は、どうしても「時間」か。