▲そりゃ、厳密に言えばおかしいかもしれない。
でも、伝承の世界の中では現実なのだ。
表題のキリストについては、その子孫だという人も現存しているのだ。
これについて、中国人がなにか言っている。
以下、新聞から抜粋。
2016年11月5日、視界網は、「中国で死んだはずの楊貴妃の墓が、なぜ日本にあるのか」と記事を掲載。
楊貴妃といえば、日本では世界三大美女、中国では古代四大美女として歴史上の人物。
唐代の皇妃で、756年6月14日に中国で亡くなったとされる。
しかし、その死には疑惑が存在する。記事は、「陝西省咸陽市に楊貴妃の墓があるが、なんと日本(山口県の二尊院)にも楊貴妃の墓がある。どういうことなのか?」と疑問を提起。
その上で、記事は伝わる伝説を紹介。
安史の乱の兵士らから原因となった楊貴妃殺害を求められた玄宗帝は、楊貴妃を縊死させたとされている。しかし、時が経ち楊貴妃の改葬が行われた際には遺体の判別がつかず、お香の入った袋だけが残っていたことから、「侍女が替え玉となったのではないか」「蘇生したのではないか」といううわさが流れた。
本人は日本に逃れたものの、ほどなく病によりこの世を去ったという。
記事は、この説が浮上した理由について、楊貴妃が慕われる性格であったこと、玄宗帝と軍の間を取り持っていたのが楊貴妃の前夫である寿王李瑁で手助けした可能性が十分にあること、楊貴妃を縊死させたとされる高力士との関係も非常に良かったこと、の3つがあると指摘。
さらに、「陳玄礼らが死を確認した」とされていることについて、中国でも「陳玄礼が皇妃の殺害を迫るという不敬に兜を脱いで許しを請うた」とされ、遺体を確認するというそれ以上の不敬には及ばなかったのではないかと。
人間に首をつらせること自体容易ではなく、専門家もいなかったことから、内侍が意図したか否かにかかわらず気絶するにとどめ、人々が去った後に蘇生した可能性に言及。
記事は、「これは単なる一説にすぎず、中国と日本の記録は異なる部分もある」としながら、「何が正しいかはわれわれには判断しようがない。こうした物語は、文学芸術に発展の余地を与え、世の人々に無限の希望と幻想をもたらしてくれる」と。
▲補足、感想など
近松のいう「虚実皮膜」の世界だろうな。
ウソかもしれないし、本当のことかもしれない。
その微妙なところに近松は「芸の真実」があるとした。
芸はともかくとして、---文学芸術に発展の余地を与え、世の人々に無限の希望と幻想をもたらしてくれる---と、中国人の記事ながら、核心をついていると思う。
冒頭でもふれた。
日本にはキリストのお墓すらあるのだ。
それだけでも、様々な幻想が思い描ける。中東と日本をどう結びつければいいのだ?
これが日本の2千年にも及ぶ歴史から贈り物なのだ。
大事にしていきたい。