▲この裁判、一体どこに核心があるのだろうか。
裁判官を含めて、国民全体の科学的知識のレベルが低いのだろうな。
もっと、端的に言えば、「国民全体の常識のレベルが低い」。
これがダビンチの子孫達なのか。
ヤレヤレだな。
学者達は控訴して、徹底的に争え。
以下、新聞から抜粋。
多数の犠牲者が出た09年のイタリア中部地震で、大地震の兆候がないと判断し 被害拡大につながったとして、過失致死傷罪に問われた同国防災庁付属委員会 メンバーの学者ら7人の公判が22日、最大被災地ラクイラの地裁で開かれ、全員に禁錮6年(求刑禁錮4年)の実刑判決が言い渡された。
地震予知の失敗で刑事責任が争われる世界的にも異例の事件。
同地震では309人が死亡、6万人以上が被災した。
イタリアの刑事裁判では判決理由は後日開示されるため、裁判所の判断の詳細は 不明。
被告側は控訴する方針を明らかにした。
▲補足、感想など
----兆候がない---ではなく、確たる証拠がないから「分からない」といったのだろう。
分からないから「分からない」と言ったということだ。
これが科学者の「真っ当な回答」なのだ。
なぜ、そのことが分からないのだろう。
科学は、占い---ではない。
そもそも、「地震予知」など、全世界で成功しているところなどない。
仮に「成功した」とか言う人間がいたら、それは「詐欺師」と思って間違いない。
地震予知など不可能だ—ということが、世界的な常識だ。
だから、イタリアの地震学者達がなにを言おうと、そんなもの当てにすべきものではないし、分からないものを分からない—と言っているのだと解釈すべきだ。
「大地震の兆候はない」--と上のような状況下で、イタリアの大衆にはそう聞こえたのかもしれない。
でも。
上でもふれたように、地震予知は不可能という世界的な常識からすれば、「あれは分からないものは分からない」と言っているのだ—と解するのも、また「常識」だ。
こんな問題をそもそも「裁判沙汰」する方が余程、常識はずれであろう。
イタリアの科学者は控訴して徹底的に争え。
そして、科学とはどのようなものか—をイタリアの国民に理解させよ。