▲京セラの稲盛さんがコメントしたことが表題だ。
筆者もほぼ同感だ。
また、太陽光発電についても触れている。
曰く、主たるエネルギー源にはならない。補完的なものだ---と。
京セラは太陽光発電では大手だ。
そこの創業者が語っている文言の意味は重かろう。
改めて、原発の重要さを直視せよ。
以下、新聞から抜粋。
エネルギー問題については、「何とか原発なしで高度な文明社会を維持していくことでできればいいが、 現在の科学技術では、私はそれは不可能だと思っている」と、政府が掲げた「原発ゼロ」には否定的な見解を示した。
稲盛氏は京セラの創業者としても知られ、同社グループは、12年8月に稼働を始めた「ソフトバンク京都ソーラーパーク」などの太陽光発電所の建設に携わっている。
だが、当の稲盛氏は、「太陽光発電については、私は最も日本で先駆けてやってきた技術屋。
現在日本で一番生産量も多いし、設置をしているのが京セラの太陽光発電」と自負を見せながらも、 「メジャーなエネルギーにはなり得ないと思っている」と、太陽光発電は補完的な役割にとどまるとの認識を示した。
その上で「原発は、必要悪として、どうしてこれをコントロールして使っていくかに力を入れなければならないのでないかと思っている」 原発のリスクや廃棄物の処理を含めた情報開示の徹底を求めた。
▲補足、感想など
原発は必要悪か---。
必要悪—という文言には、筆者は反発する。
核心は、原子力というものがもつそのポテンシャルの高さにある。
不幸にも、マイナスに出た時、その被害が甚大なものとなる。
稲盛さんのいう高度な文明社会の維持のためには、どうしてもエネルギーが必要だ—ということでもある。
そして、そのエネルギーをどこからもってくるか-*-という問いに対して、目下のところ、原発しかない。---もう一度、そのことを確認して欲しい。そのことを直視して欲しい。
このあたりのことを稲盛さんはいっているのだ。
だから、「高度な文明社会」というものと、「原発」は手を携えて、両輪のごと、互いに補完しながら今後30年はやっていかなくてはならない。
その覚悟を求めているのだろうなぁ。