▲日経新聞が、中国の愛国青年達をレポートしている。
記者は女性で、まぁ、女性らしいまとめかただ。
こういうレポートを読みながら、思うのは中国人の思考の方向性だ。
中国人は、英国の産業革命に遅れること200年、日本の明治維新に遅れること100年、日本の敗戦に遅れること35年、1980年代始めにトウ小平氏により改革開放政策を始めて、やっと、海外へ留学生を○十万人と出すことができた国家だ。
1980年代始め頃かなぁ。
トウ小平氏が、日本にきた時だったかなぁ、アメリカへ、日本へ数十万人の留学生を送り出すから受け入れて欲しい—とか発言した時の顔を筆者は覚えている。
中国人としての誇りと、上で述べたように英国の産業革命に200年も遅れるという愚鈍というかノロマな国民へのなんとも言えぬ感情の混じったような表情だと思えた。
核心はここだ。
なぜ、俺たちは英国の産業革命に200年も遅れるのだろうか?
なぜ、俺たちは日本の明治維新に100年も遅れるのだろうか?
なぜ、日本の敗戦時から35年も遅れるのだろうか?
→そういう疑問を自分自身にぶっつけないのか。
中国人の考え方では、なにか不都合なことがあると、その原因は常に他者にある—と考える。
その部分を変えなければ、中国のこれからの発展は望み薄であろうに。
以下、記事を大幅に抜粋。
今回の尖閣問題で、中国民間保釣 (釣魚島防衛)連合の影が見えない。
企業家の童増氏が会長として2005年の反日デモのとき露出も高かった。
2004年馮錦華、張立昆ら7人が尖閣上陸を果たし、英雄扱いされた。
彼らは当時、憤青(アングリーヤングマン)と呼ばれ。
先日、民間保釣のスポークスマンをしていた李楠氏に電話を入れた。
李楠は、民間保釣 インターネットサイト長という立場で外国メディアとの接触も多い。
8月15日の民間活動家の尖閣上陸、反日デモにどんなふうに関わったか、聞いてみた。
すると、今回の一連の上陸活動やデモ参加については政府側から圧力がかかり、身動きもとれなかったと。
かつて英雄視された彼らも、こんなに虐げられているんだなあ、と同情した。
2006年に 安倍政権に替わって日中関係が改善するにつれ、彼らは当局に圧力を受け、中国のインターネット言論空間では、糞青 と呼ばれるように。
日系企業に火を放つ若者を放置している一方で、憤青の反日デモ参与を当局が許さないのはなぜなのだろう。
民間釣保連合会長の童増が9月の反日デモ前夜にこんなことを呟いていた。
「9.18(柳条湖事件発生日、国恥日)81周年だ。東北軍は一発の銃も放たず東北三省を失った。
もし今、我らが一発の銃も大砲も打たずにおれば、釣魚島は失われ、もう一つ 国恥日が増えるだろう。我らが子孫にさらに歴史の重荷を残すことになる!」
「俺は戦争を望んでいるよ。戦争ですっぱり決めてしまった方が、こんなに悩まずに済む。
愛国民族主義憤青たちは、開戦支持論者も多い。
李楠に軍事力を比較して、どちらが強いと思うかと聞くと、彼は「日本の方が中国より軍事力は上だ。しかし、俺たち には決心・覚悟がある」という。
「だから、今の政府の弱腰が不満なのだ」。
彼は、今回のデモが、焼き討ちや略奪を引き起こすほど荒れた背景として、日本が中国を 刺激した、という理由以外に、政府の弱腰外交への不満と社会矛盾の顕在化をあげた。
日本人にしてみれば、中国はけっして弱腰外交などではないと思うのだが、彼は「いや、弱腰だ。
今の中国は戦争をする気がない。
戦争というのは何も軍事的戦争だけでない。経済制裁も戦争だ。そういうあらゆる手段を一緒に使って、初めて外交的譲歩が引き出せる」 と主張する。
■胡錦濤政権は対日重視外交だった
中国政府が彼らをデモに参加させたくないのは、彼らが政権批判、政策批判と結び付けながら、中国政府を開戦という危険水域に 追い込みかねない、と思っているからか。
中国人民の間に戦争をタブー視する姿勢はない。
対日開戦支持言論というのは、扇動者がいれば、 いつどんな拍子に盛り上がるかはわからないし、いったん盛り上がれば、それを利用しようという軍勢力や政治勢力も登場し、まっとうな国家 としての外交のかじ取りはより難しくなる。
胡錦濤政権を冷静に振り返れば、確かに対日重視外交だったと言える。
安倍晋三政権になれば、国をあげて歓迎の意を示し、日本では鷹派と呼ばれた安倍氏を「氷を溶かした人」と持ち上げた。
2010年秋に 漁船船長が暴走し、また民主党政権の船長逮捕という中国側が予期せぬ事態に、尖閣問題の方がこじれてしまったのだとか。
私の所感としては、名古屋市長の南京事件に関する発言が問題視されたときも、東京都の尖閣購入発表に対しても、中国政府としての反応が低調であり、日中国交正常化40周年は、盛大にするつもりはなくとも、無事に迎えたいという中国側の意志は 透けて見えていた。
状況が8月19日を境に変わったのは、中国国内の事情、権力暗闘も関係あるのだろう。
9月の激しい反日デモの背景については、李楠の言うように、胡錦濤政権の対日重視 外交を弱腰外交と批判する面があったのかもしれない。
今回の反日デモによって、胡錦濤政権時代に対日重視外交が失敗であったという印象が中国側に広がれば、次期政権は 対日強硬外交にシフトしていくのではないか、という不安はぬぐえない。
李楠のような憤青たちが本気で祖国のため、子孫の未来を考えているとしても、彼らの愛国が本気だからこそやっかいなのだ。
愛国青年は本気で開戦世論を盛り上げかねない。だからこそ政府も封じ込めに動くのだろう。
同じことが日本でも言えそうで、人々は、政府が外交上で多少の譲歩や理解を見せただけですぐ、弱腰だ、 ナントカの犬だ、と批判することがある。
もちろん対外強硬手段を自ら封じることを公言して しまえば、これも外交の選択肢を狭めることになるのだから、うまくない。
結局、戦争という究極のカードを含めて幅広い選択肢をとれるように 国内外世論環境を整えられるか、というのが、その国の政治手腕なのだろう。
一人前のまっとうな国というのは戦争する権利を保ちながら
戦争を回避できる国だと、思う。
だから日本の愛国者たちは、はるかに日本の未来に対する責任が重い。
日本の愛国者を自任する人たちは、自分たちの言動が外交に与える影響を分析する冷静さもほしいところだ。
▲補足,感想など
う~ん、と思う。
中国という国は、世界の最先端からは200年遅れ、日本から100年遅れの国家であり民族だということなのだな。
そして、西欧諸国の勃興期、日本の勃興期になした行動をそのまま、コピーしたような行動を中国人は200年遅れでとっている—ということであろう。
20世紀の始めの頃、日本は西欧諸国に対して、記事の中国人と同じように怒っていたのだろうな。
オレをイエローと馬鹿にしやがって—とか、人種差別反対だ!--とか、100年遅れて参入したけど、オレにも領土をヨコサンカイ—とか。
欧米諸国から見れば、ようやく世界が秩序を保ちかけている時に、その秩序を壊す乱暴者だと日本を見たのだろう。
今の中国と日本の関係も同じだ。
東アジアは、それなりに国境も決まり、秩序を保とうとしている。そのタイミングで中国は、アソコはオレのものだ。ソコもオレのもんだ—と現状の秩序をブチ壊す乱暴者として出現したのだ。
冒頭で1980年代始めの頃のトウ小平氏の「表情」についてふれた。
トウ小平氏は、1980年代始め頃、日本の松下電器のオートメーションを見ながら、「貧乏な国がお隣にあってご迷惑でしょうが--」と言った。
その貧乏な国が30数年でお金持ちの国家となった。すると、上でふれたように東アジアの秩序をぶちこわす乱暴者となったということだ。
歴史は繰り返すとしかいいようがないな。
日本は、今度は太平洋戦争時のアメリカのように、中国に対峙しなければならない—ということだ。
海保、海自を増強して、中国との衝突もやむなしと視野にいれるべきだ。