▲滋賀県知事が、大飯原発の再稼働を容認する発言をしたようだ。
まぁ、筆者は当然と思う。
いや、このブログでなんどもふれているように、原発を停止するというなら、原発に代替するエネルギー源を示してみよ。
毎日、食事の準備ができて、電車にのれて、会社へいけば機械のすべてが動くという「有り難さ」を噛み締めよ。
なぜ、通常の生活が営めるということの大切さが分からないのか。
原発に代替するエネルギー源を開発するにしても、この通常の生活ができる—という基盤の上で始めて可能なことなのだ。
物事は、二段飛び、三段飛び—ということはできない。
まず、一段づつ、階段を登っていくしかないのだ。
その現実を直視せよ。
以下、新聞から抜粋。
滋賀県の嘉田由紀子知事は記者会見で、関西電力大飯原子力発電所3、4号機の稼働について「現状では認めるしかない」と述べ、軌道修正した。
橋下徹・大阪市長が稼働に否定的立場を取っていることについても「現実的とは思えない」と批判した。
嘉田知事は大飯原発の再稼働後も「安全基準は暫定的で、一刻も早く再審査に臨んでほしい」などと主張していた。
ある県幹部は「関電と原子力安全協定の締結に向けた協議を進めている今、再稼働の議論をしても仕方がないとの考えがあるようだ」と。
▲補足、感想など
大阪の橋下さんの意見を「現実的ではない」と批判—か。
筆者もその通りだと思う。
橋下さんの意見は、奇橋すぎる。現実離れしている。
冒頭でふれたように、まず、通常の生活の維持ありき—なのだ。
毎日の通常の生活を維持するためには、「安定的なエネルギーの確保」がどうしても必要だ。
今、それが可能なのは、原発のみなのだ。---そのことを直視せよ---
確かに、原子力というものは、大きな力をもっていて、プラスにでれば、これだけコンパクトでポテンシャルの高いエネルギー発生源はない。ただ、マイナスにでれば、福島の原発の事故のようになる。
しかし、この福島の事故は、言わば1000年に一度の災害に遭遇し、人類の手に余る程の大きさであるための事故であろう。
人類側に手落ちがあったことは確かだが、予想外のことであったことも確かだ。
筆者は、人類はこの事故にたじろいではなるまい—と考える。この事故を踏まえて更に安全な原発をつくる—ということこそ、日本人が福島原発の事故に遭遇したことに対する、真っ当な対応策だと思う。
この原子力というものを制御できなければ、人類に未来はないとも思える。
いや、話がどこかに行った。
将来的に原発をどうするか—という議論をはじめるにしても、それは30年後ぐらいの話だ。
まずは、原発に代替するエネルギー源を開発するということこそ、急務であろう。
そのためには、繰り返すが、毎日の通常の生活を維持しなければならないのだ。
そう考えれば、橋下さんの意見は「現実離れ」そのものではないか。