▲中国人がなにか冗談につもりでいったら、日本人に批判された。
日本には言論の自由もないのか—と。
ふ~ん、中国人から「言論の自由」などという言葉を聞くとなにか奇妙に感じる。
アフリカの密林に住んでいる原住民から、最新式の電話器の説明を受けたような---。
違和感が一杯ではある。
それはそれとして、尖閣諸島に隕石が落ちてきて、島がなくなったとしよう。
そうなればどうなるのか。
これは。
一旦、登記してある以上、海底にあったとしても、自分の土地であり、所有しているということには違いはない。
なんなら、元の島の形に埋め戻せはいいことだ。<コストとどう利用するかでの判断であろうが-->
だから、隕石が落ちたぐらいでは、なんの変化もない。なくなったということにならない。
まず、このあたりの認識はしていたのかな。
そもそも、これが「冗談」か。
以下、新聞から抜粋。
2013年2月23日、日本のテレビ番組で「隕石が尖閣諸島に落ちればよかった」と発言をして物議を醸した
日本在住の中国人・宋文洲氏が日本の華字紙に寄稿し、尖閣諸島に関する
日本の言論の自由を憂いた。
以下はその概要。
私は「b」でコメンテーターをしているが、番組内での一言が議論を引き起こした。
その日の話題はロシアの隕石についてで、司会者が私に意見を求めた。
「地球は脆弱な
もので、地震も発生すれば、予測不可能な隕石も落下する。人類は細かいことでもめている場合ではない」と前置きして、
「隕石が尖閣諸島に落ちてくれないかと思った。なくなればトラブルもなくなるから」と発言。
司会者は「思い切ったご意見ですね」と驚いたが、私は発言がユーモアであること
を示した。
女性アナウンサーが画面に向かって「スタジオで一部不適切な発言がありました。失礼いたしました」
と謝罪した。
私の発言に対して視聴者から抗議の電話が殺到していると知った。
多くの人が「尖閣諸島に
隕石が落ちればよかった」との発言に怒りを表明していた。
なぜならば、彼らは尖閣諸島は日本の領土であると考えており、
中国人である私がこうした発言をすることが許せなかったのである。
私は例え話をしたに過ぎず、目的はトラブルがなくなって両国が友好を保つことであり、尖閣諸島をなくしてしまえという
ことではない。
私の立場は中立であり、中国に偏っていることもない。
日本のメディアが話題を報道したため、翌日には私の名前がネット上の検索キーワードのランキング上位に
躍り出る結果となった。
ネットユーザーからは「中国へ追い返せ」「謝罪させろ」、「日本のマスコミは二度と宋文洲を
コメンテーターとして使うな。メディアから締め出せ」とコメントさえ見られた。
私は、今回の件について次の内容で意見の一致を見た。
「日本テレビは宋文洲氏の同意がない下で
“不適切”との説明を行ったが、これは宋文洲氏の発言に対する批判ではなく、抗議する一部の視聴者を鎮めるためである--どの企業も顧客への対応方法を持っており、この点については問題ない。
日本テレビは宋文洲氏の発言が法律及び人権上に
おいて不適切なものではなかったと認識している」。
日本社会では言論の自由が認められているが、日本人は自身の発言に対して非常に慎重である。
多くの人が自分の
意見をはっきり言わず、政府や主要メディアの声、いわゆる主流の意見を待っている。
今回、私の発言が議論を呼んだことは、
日本の世論が事実上、尖閣諸島問題に関する自由な言論を押さえつけている結果である。
▲補足、感想など
中国人らしい「鈍感さ」「粗野さ」だな。
「言論の自由」などという中国人にとって、「使い慣れない言葉」を大手を振ってつかうものではあるまい。
冒頭でふれたように、例え尖閣諸島に隕石が落ちて、形状がなくなっても「所有権」に変化はない。
土地が海底にあろうと、所有しているという事実に変りはない。
まず、このことが理解できないのであろう。
確かに尖閣諸島は、日本の領土である。
それを中国がオレのものだ—とヤクザまがいの強引な手口で、領土問題にしよう--としているのだ。
それだけ微妙な問題だということだ。
それを中国人から尖閣諸島がらみでなにかいう—というのは、文字通り「空気が読めない」ということだ。
日本人からすれば、「空気が読めない」人間は、粗野な・鈍感な人間なのだ。
尖閣諸島に隕石が落ちてきたら—まぁ、言っちゃいけないことはない。言うのは自由だ。
でも、こういう微妙な問題にこういう「冗談」を言うか。
それこそ、空気の読めない粗暴な中国人という印象を日本人に与えただけであろう。そのあたり、テレビのコメンテーターとして不適任だ。
言論の自由ということは、なにをいってもいい—ということではない。
必要な時に、必要なことが言える—という権利だ。
中国の習近平国家主席に、「あなたの能力では長く政権を維持することは無理でしょう、できるだけ速く有能な人に権限を譲り渡される方がいいのではないですか」--と正面切って言えること--それが「言論の自由」だ。