2013年7月19日金曜日

宮崎さんの「風立ちぬ」の記事を読んで。

▲いや、映画を見たという訳ではない。
 宮崎さんが、明日公開の映画についてしゃべっているので、ちょっと興味をもった。

 とりあえず、記事から抜粋してみよう。

 以下、新聞から抜粋。

■脱ファンタジーと同時代性
 宮崎駿監督(72)の5年ぶりの新作映画「風立ちぬ」が完成。
 ゼロ戦の設計者、堀越二郎(1903~82年)をモデルに、小説「風立ちぬ」の 作者堀辰雄(1904~53年)の人物像を融合した主人公は、夢を追い求め、 働き、恋愛をする。

 大正から昭和にかけての激動の時代に生きた青年に託した思いを、 宮崎監督に聞いた。
 関東大震災が起き、失業者は増加。
 戦争に突き進もうとする 時代に、二郎は技師としての仕事に没頭する。
 若者たちがゼロ戦に乗って 戦場に飛び立つことになるが、二郎は飛行機を夢想して、仕事に励む。

 「自分の今いる場所で、可能な限り誠実に、力いっぱい生きるしかない。
 世界のあらゆることに関心をもち、政治情勢によって自分の行動を決めるなんてことはできないですから。
 職業人は職業に専心することによって、小さな窓から世界を眺め、 初めて世界を感じ取ることができるんじゃないでしょうか」

 この生き方は、堀田善衞が20世紀末の社会を論じた評論集 『空の空なればこそ』で紹介した、旧約聖書の言葉「凡(すべ)て汝の手に 堪(たふ)ることは力をつくしてこれを為せ」に通じる。
 宮崎監督は、講演で、 この言葉を引用し、「これをやったら世の中のためになるとか、意義があると決まっている 仕事はない。
 どんな仕事でも力を尽くせば、やってよかったと思う瞬間がある」と。
 「できることを懸命にすべきだ」という理想を担わせたのが二郎なのだ。

 さらに、1930年代に「美しい村」「風立ちぬ」などを発表した堀辰雄も、 同様の精神の持ち主と捉える。
 「サナトリウム文学とか軟弱と言われるようだが、 そうだろうか。
 戦争について何も書かないことによって、ぎりぎりのところで レジスタンスをした人なんじゃないか。
 『大和路』『信濃路』が 本当に戦争中に書かれた文章なのかと思いますよ」

 「あの時代の人で、僕が優れていると思う二人」が「時間をかけて自分の中で まざりあって」、二郎という主人公が造形された。
 「彼らは同じような教養を 身につけていて、『魔の山』やドストエフスキーを読み、 『ツィゴイネルワイゼン』や『冬の旅』を聴いたに違いない。
 僕の勝手な推論ですけど、 そういうことを考えていったら、堀越二郎と堀辰雄が一緒になっていたんです」

 実在の人物をモデルにしていることもあって、これまでの監督作と比べると、 リアルな描写が目立つ。
 場所と時代が特定され、「変動期の今こそ、ファンタジーでないものを作って、 どう生きるべきかを問わなければ」という意識の表れといえる。

 「風の谷のナウシカ」(1984年)の制作時、 「先を読んでいるつもりだった」が、世紀末を経て21世紀に入ると 「時代に追いつかれてきた」と実感するようになった。
 2008年の前作「崖の上のポニョ」には津波と水没した世界が登場したが、 3年後、東日本大震災が起こった。

 追いつかれていく感覚はますます強まり、 「ついに同時代を描くようになったのが、『風立ちぬ』だった」という。
 舞台は大正~昭和初期だが、同時代性を強く意識している。

 ただ、リアリズムを追求したわけではない。
 関東大震災の場面は、地震発生から人々が混乱に陥るまでを ダイナミズムで描写しているが、戦闘シーンもない。
 「作っている側の歴史認識は間違っていないという、 アリバイ作りのようなことはしたくなかった」からだ。
 「インターネットでどんな写真も見られるけど、不愉快なんです。当時はこうだったという図式化も避けたかった。アニメーション映画を 作ることは、そういう仕事ではないと思っています」


▲補足、感想など

 記事中に、「美しい」という言葉が散りばめられていたが、筆者が削除した。
 堀越さんが達した「美しいものを作れ」--という意味を取り違えていると思ったからだ。

 これは。
 正しい機能をもつものは、自ずから「美しくなる」、自ずから「美」を獲得する--という意味なのだ。
 例えば、日本刀のように、例えば戦艦大和のように。

 「美しいものを作れ」と上では書いた。
 それは、正しい機能をもつものを作れ、そうすれば自ずと美しくなる—という意味だ。
 まさしく、ものづくりの「真髄」にふれたような言葉だと思える。

 いや、話がとこかへいった。
 記事にある--自分の今いる場所で、可能な限り誠実に、力いっぱい生きるしかない。---と。
 働くというか、ものをつくる—ということの「本質」を突いた言葉だと思える。

 映画がどのようなものか—筆者には見当もつかない。
 宮崎さんの仕事に対する「誠実さ」を筆者はただただ信じている。