▲野球の選手の「優劣」というものは、ほぼ「素質8割」という世界であろう。
素質がなければ、駄目なものはダメ。
どのタイミングでなにをしたか等、さほどの問題ではない。
頭が、身体が、「野球向き」でなかった。それだけのことではないか。
筆者の言い方、「冷たい」と感じるか?
でも。
なんどでも言おう。
プロの世界は、「素質8割」の世界なのだ。(いやもしかしたら9割かも)
後の2割はなんだ—と聞かれれば、「運」と「努力」というところかな。
以下、新聞から抜粋。
早実高のエースとして甲子園をわかせた斎藤。
2006年夏の甲子園決勝、
駒大苫小牧高のエース、田中将大との投げ合いは球史に残るものだった。
田中はプロへ、斎藤は早大に進学。
田中はパ・リーグを代表する
投手になった一方で、斎藤は2年間のプロ生活で11勝14敗。
田中に差をつけられたのは明白だ。
3年目の今季は右肩を痛めた。
ファンの目は大谷や中田に向かった。
早大進学が斎藤にとって良い選択だったのか。
1年春のリーグ戦で開幕投手を務めた。最終学年では主将。
常に部を支える存在だったことがマイナスだった。
すべてをリセットし、「
どういう投手になりたいか」「どんな練習が必要か」などを考え直す時間にするべきだった。
元投手コーチである吉井理人氏は自著「投手論」の中で、
大学時の斎藤を「大学時代の彼は(高校時代と比べて)かなりレベルを落としていたなと感じた。
最も調子を落とした状態でプロに入ることになったのは、彼にとって不幸だった」。
早大の同期で広島に1位指名された福井優也、西武のドラフト1位、大石達也両投手も成績は芳しくない。
大学4年間で人生が変わる選手は何人もいた。
昨季の新人王、ロッテの益田だ。
関西国際大入学後、「大学で野球は終わりだから、投手をやろう」とブ
ルペンで投げ始めたら、いい球を投げる。そこから投手人生が始まった。
オリックスの新人、松葉。
大体大入学後、
ヒジもよくなり、打撃投手を務めると、いい球を投げる。
そこで投手に転向し、オリックスに
1位指名された。
2人とも、斎藤と違い、自由に動ける環境があったことが幸いした。
失敗が許される中での挑戦だから、重圧も少なかった。
2年後でいい。大谷を野手に専念させるほどの投手に
成長してほしい。
▲補足、感想など
別に筆者は、プロ野球に詳しいわけではない。
若い頃に、野球をやったというわけでもない。
でも。
いろんな選手を見てきて、失礼ながら「斎藤投手には素質がない」。
記事では大学でとうこう—とか書いてある。
しかし。
斎藤投手の手記などを読んでいると、「平凡というか平坦な文章で、個性がない」
このコラムで何度も取り上げた。
捕手の野村さんは、ストライクゾーンを縦ボール☓☓個、横ボール△△個の碁盤目状のものだと例えた。
一流の選手というものは、上のようなその人なりの「独自の視点」というものをもっているものだ。
その視点が、他の平凡の選手との「差をつける」。それがプロとしての「優劣の差」として顕在化する。
投手でも元巨人の桑田投手なども、こういう独自の視点をもち、個性的な言葉として表現していた。
核心はなんなのかな。
やはり、「のめり込み方」の違いなのだろうな。
この仕事、この芸で一生を暮らしていく・メシを食っていくんだ—という「覚悟」がないのだろうな。
その覚悟のなさが、野球への「のめり込み」をうすっぺらなものにし、結果として「独自の視点」をもたせるまでにならないのだ。
こんな例を相撲界でもみたなぁ。
坂井という人だったかな。大学の選手権で優勝し、相撲界に入ったが、すぐにやめてしまった。
どこか、合わなかったのだろうな。素質は充分でもプロの水にあわない—とでも表現すればいいのかな。
斎藤投手はまだ若いのだ。
プロ野球以外で、いろんなことに挑戦し、別の道を歩かれることを薦めたい。