2013年7月1日月曜日

どこが潰したわけではない。斎藤投手。

野球の選手の「優劣」というものは、ほぼ「素質8割」という世界であろう。
 素質がなければ、駄目なものはダメ。
 どのタイミングでなにをしたか等、さほどの問題ではない。

 頭が、身体が、「野球向き」でなかった。それだけのことではないか。

 筆者の言い方、「冷たい」と感じるか?
 でも。
 なんどでも言おう。
 プロの世界は、「素質8割」の世界なのだ。(いやもしかしたら9割かも)
 後の2割はなんだ—と聞かれれば、「運」と「努力」というところかな。

 以下、新聞から抜粋。

 早実高のエースとして甲子園をわかせた斎藤。
 2006年夏の甲子園決勝、 駒大苫小牧高のエース、田中将大との投げ合いは球史に残るものだった。
 田中はプロへ、斎藤は早大に進学。
 田中はパ・リーグを代表する 投手になった一方で、斎藤は2年間のプロ生活で11勝14敗。
 田中に差をつけられたのは明白だ。

 3年目の今季は右肩を痛めた。
 ファンの目は大谷や中田に向かった。

 早大進学が斎藤にとって良い選択だったのか。
 1年春のリーグ戦で開幕投手を務めた。最終学年では主将。
 常に部を支える存在だったことがマイナスだった。

 すべてをリセットし、「 どういう投手になりたいか」「どんな練習が必要か」などを考え直す時間にするべきだった。

 元投手コーチである吉井理人氏は自著「投手論」の中で、 大学時の斎藤を「大学時代の彼は(高校時代と比べて)かなりレベルを落としていたなと感じた。
 最も調子を落とした状態でプロに入ることになったのは、彼にとって不幸だった」。

 早大の同期で広島に1位指名された福井優也、西武のドラフト1位、大石達也両投手も成績は芳しくない。 大学4年間で人生が変わる選手は何人もいた。

 昨季の新人王、ロッテの益田だ。
 関西国際大入学後、「大学で野球は終わりだから、投手をやろう」とブ ルペンで投げ始めたら、いい球を投げる。そこから投手人生が始まった。
 オリックスの新人、松葉。
 大体大入学後、 ヒジもよくなり、打撃投手を務めると、いい球を投げる。
 そこで投手に転向し、オリックスに 1位指名された。

 2人とも、斎藤と違い、自由に動ける環境があったことが幸いした。
 失敗が許される中での挑戦だから、重圧も少なかった。

 2年後でいい。大谷を野手に専念させるほどの投手に 成長してほしい。
 

▲補足、感想など

 別に筆者は、プロ野球に詳しいわけではない。
 若い頃に、野球をやったというわけでもない。

 でも。
 いろんな選手を見てきて、失礼ながら「斎藤投手には素質がない」。
 記事では大学でとうこう—とか書いてある。
 しかし。
 斎藤投手の手記などを読んでいると、「平凡というか平坦な文章で、個性がない」
 
 このコラムで何度も取り上げた。
 捕手の野村さんは、ストライクゾーンを縦ボール☓☓個、横ボール△△個の碁盤目状のものだと例えた。
 一流の選手というものは、上のようなその人なりの「独自の視点」というものをもっているものだ。

 その視点が、他の平凡の選手との「差をつける」。それがプロとしての「優劣の差」として顕在化する
 投手でも元巨人の桑田投手なども、こういう独自の視点をもち、個性的な言葉として表現していた。

 核心はなんなのかな。
 やはり、「のめり込み方」の違いなのだろうな。

 この仕事、この芸で一生を暮らしていく・メシを食っていくんだ—という「覚悟」がないのだろうな。
 その覚悟のなさが、野球への「のめり込み」をうすっぺらなものにし、結果として「独自の視点」をもたせるまでにならないのだ。

 こんな例を相撲界でもみたなぁ。
 坂井という人だったかな。大学の選手権で優勝し、相撲界に入ったが、すぐにやめてしまった。
 どこか、合わなかったのだろうな。素質は充分でもプロの水にあわない—とでも表現すればいいのかな。

 斎藤投手はまだ若いのだ。
 プロ野球以外で、いろんなことに挑戦し、別の道を歩かれることを薦めたい。