▲この映画、子供向けではない。
でも、「いつかはわかる時がくる」--その時のための映画として子供向けだとも言える。
男が自分の夢をもって(志を立てて)自分の職業とかテーマを選択するとはどういうことか、恋するとはどういうことか—そんなことを扱った映画だ。
以下、印象に残ったことなど、箇条書きとして、粗筋にふれながら感想をのべたい。
◇時代は大正から昭和20年代ぐらいまで。(主人公たる堀越さんが生まれたのは、1900年代始めころ)
関東大震災が1923年(大正12年)、この頃が大学生くらいの感じかな。
◇どのあたりから。
計算尺というものを久しぶりにみた。
1970年代始めまで、「計算する」ことは大変だった。
特に理科系の人間にとって、計算することは必須だったから。
今、それこそゴミあつかいされる「電卓」が出現するまで--。
たまたま、関東大震災の折、電車でのりあわせ、足を折った女性の副木として、計算尺をつかい布できつく縛り、応急措置をした。
◇主人公である堀越さんは、飛行機をつくりたい—と子供の頃から思っていた。
夢の中で、飛行機作りの先達から言われる—センスが必要なのだ。設計者としてまともに働けるのは「10年だよ」--と。
堀越さんにとっては、その「10年」とは1930年頃から1945年頃までだったのかな。
堀越さんは、戦闘機が作りたかったということではない。
ただ、時代がそれを要求し、その要求に答えることができるのが「堀越」さんしかいなかったということだ。
◇入社5年目で、新戦闘機の設計をまかされる。
しかし、その試作機は初飛行の中で見事に空中分解する。
で。
癒しのために高原のホテルに宿泊し、そこで上でふれた関東大震災の際、汽車の中で出会った女性と再会する。
このあたり、虚実皮膜の話だけれども、年代からいえば1930年頃、昭和5年ぐらいの感じかな。
◇昭和の始め頃、1930年頃の、軽井沢とか追分の高原ホテル—ということか。
庶民とは縁のない、日本のお金持ちが集まる場所—だったのだろうな。
再会した女性は、結核という病いに冒されていた。
◇主人公はこの女性との結婚を決意する。
しかし、女性は自分がもう長くは生きることができない—ことを覚悟していた。
で。
ある日、高原の療養所から抜け出し、主人公と結婚式をあげ、一緒に暮らし始める。
筆者は、これ以上あらすじにふれることはできない。
◇まとめ、全体の印象。
戦前の最も知性の高い男たちの言動とか、こんな感じだったのだろうなぁ。
同世代に糸川英夫さん(1912年生まれ)がおられるが、中島飛行機の時代のことを書かれた部分を読むと、とっても昭和10年代の話とは感じられなかった。
こういう人たちの感覚は、20-30年分先取りしたというか未来に生きているようだ。
<いや、これは日本の教育の力なのだろうな。欧米国家では個人の才能・能力に頼りすぎる。日本は、全人的な詰め込み教育で、大量?のエリートを作り上げることができる--ここにこそ、当時の最優秀な戦闘機を作れた秘密があるのだろうな>
<いや、これは日本の教育の力なのだろうな。欧米国家では個人の才能・能力に頼りすぎる。日本は、全人的な詰め込み教育で、大量?のエリートを作り上げることができる--ここにこそ、当時の最優秀な戦闘機を作れた秘密があるのだろうな>
それで。
堀越さんのつくったゼロ戦というものは、明らかに、世界からみて、一世代先んじたというか抜け出たような飛行機であった。
それは、堀越さんのセンスの良さと、仕事への没頭というところから産み出されたものであろう。
結核については、戦前であれば、致死率の高い病気であった。もう、死を覚悟しなければならないほど。
もう一度、冒頭に帰って。
この映画は、男が自分の一生のテーマを決めるとはどういうことか、仕事を選ぶとはどういうことか—を描いている。
そして、恋するとはどういうことか、結婚するとはどういうことか-を描いている。
確かに、今、子供では分かるまい。
しかし、もう10-20年経てば、必ず理解できる—そんな子供のための映画だ。