▲表題を読んで、興奮を抑えるのに時間がかかった。
この記事はややこしい書き方をしている。
記事は韓国の新聞で、「日本人を卑しめてやろう」という下心に溢れたものだ。
ただ、表題の文章を発言したのは日本人だということ。
日本人からの反発を「それ言ってのは日本人だから」—と自分が攻撃対象とされることを逸らしているのだ。
いや、卑怯というか、悪巧みにかけては大したものだ。
まぁ、韓国側からの日本人卑しめ工作の「声闘」の一環だと思えば、当たっていよう。
イアンフ イアンフ てな代わりに、トッコウタイ トッコウタイ と罵倒のタネを替えてきたということか。
まず、新聞から抜粋。
敗戦から70周年に当たる来年、第2次大戦で特攻にも用いられた戦闘機「ゼロ戦」ブームが本格化しそうだ。
戦時中使用されていた本物の零戦が復元され、戦後初めて飛行する予定で、零戦のパイロットドラマも放映される。
戦後日本が独自開発したステルス戦闘機も試験飛行に入る。
1943年に作られた「零式艦上戦闘機22型」が米国から搬入され、綾瀬市で公開された。
この機体は、1970年代にパプアニューギニアのジャングルで骨組みとエンジンが発見され、復元作業を経て飛行が可能になった。
日本人のi氏が購入し、保管していたが、来年の飛行のため日本に搬入した。
i氏は、インタビューに対し「技術力を世界に示した日本の製造業の原点。戦後70周年に当たる来年、日本の歩んできた歴史を振り返ることができるよう、飛行もさせる」と。
埼玉県の展示場で公開され、組み立てと飛行に掛かる経費に充当するため寄付も募る。
零戦を展示している代表的な場所が、靖国神社の戦争博物館「遊就館」だ。
テレビ東京は、百田尚樹氏の『永遠の0』をドラマ化し、来年放送する。
防衛省・海上自衛隊・陸上自衛隊が制作を全面支援し、俳優の向井理が主役を務めることも確定した。
『永遠の0』は、零戦パイロットを取り上げた小説でこれまでに500万部以上が売れた。
昨年には映画も作られた。
防衛省がテスト飛行を実施するステルス戦闘機「心神」は「平成の零戦」とも呼ばれる。
戦後日本が開発したステルス戦闘機で、事実上、零戦の後継モデルという意味だ。
心神は、三菱重工業が主体となって開発している。
零戦ブームについて専門家らは、戦争の実態を歪曲しかねないと懸念している。
特攻隊に関する本を書いたノンフィクション作家の保阪正康氏はインタビューで「特攻隊は美化の対象ではなく日本の恥部。
本人の希望ではなく軍部によって強要された死だった」と。
車学峰(チャ・ハクポン)特派員
朝鮮日報
▲補足、感想など
記事を読んで。
朝鮮民族の「哀れさ」を思う。
朝鮮民族という民族は、深い深い真っ暗な穴の底に落ち込んでどうしても抜け出せない人達なのだな。
周囲は真っ暗だが、上の方を見上げれば、真っ青な青空が見える。穴の上の方からは、明るい笑い声も聞こえる。
なんとか、この穴から抜け出したいと願うが、どうしても脱出できない。
で。
穴の底から上の方を、怨嗟と恨みと抱えながら、じっと見ている —そんな感じがする。
この穴から脱出できるかどうかは、朝鮮民族の「能力」の問題だ。
日本人には関係がない。
特攻隊については、そうだな、このブログで取り上げた、ベトナム戦争の時、北欧などへ逃げ出した米兵の話をしたい。
1960年代だから、もう半世紀も前の話だな。
ベトナムから様々なルートを辿って北欧あたりに脱出した米兵達は、それでも数年後にはアメリカへ帰っていった。
兵役拒否者として母国アメリカでは冷たい視線を浴び続けたようだ。
それは、兵役拒否というより、もっと素朴に、敵から攻撃された時、自分の妻を子供を、置き去りにして逃げ出した—ととられたためのようだ。
筆者でも。
敵から自分の妻を・子供を、郷里を攻撃された時、これを見殺しにするということは絶対にできない。なんでもするだろうな。
特攻隊とは、こういう気持ちの延長線上にあるものだろう。
特攻隊の美点という言葉は確かにそぐわないだろう。でも、決して卑しめていいものではない。
もっと、自然体でふれるべきことだろう。
だから、記事の保坂さんの言葉は、なんとも卑しい。
保坂さんのもつ卑しい精神から生まれた言葉だろうな。
記事全体から受ける印象は。
英国の産業革命に500年も遅れる超ノロマの民族が、「儒教」という真っ暗な深い穴に落ち込み、暗い穴の底から、上の方にいる日本人を怨嗟の目で見ている—としか思えない。
深い穴の底から、日本人になにを言っても聞こえはしない。
穴から抜け出せるかどうかは、朝鮮民族の能力しだいだ。
日本人にはまったく関係がない。