2014年11月22日土曜日

50円の幸福。日本語で暮らすことの価値を見直せ。

いや、妙な表題となった。
 50円でなくてもいい、100円でもいいのだが--

 あまり、金額に拘ってほしくはない。
 筆者の言いたいことは、日本語が読めて理解できることの「嬉しさ」「楽しさ」とでも言えばいいのかな。
 また、貧乏が怖くない—とでも言えばいいのかな。

 どういうことかと言うと。
 筆者の事務所の近くに古本屋が多くある。
 店の中には、文庫本一冊50円というところもある。

 で。
 この前、1冊50円で買った本をご紹介したい。
 あ、ゾルゲの遺言  伴野朗 著
 い、帝王の遺言書  森 詠 著
 う、ホルクロフトの盟約 ロバートラドラム著  などだ。

 日本語が読めて理解できることも重要だが、読んで充分に楽しめる「手応えのある本」が、これだけ安価でゴロゴロしている国ってものがあるのかな—と感じる。

 このことは、海外へ移住する--とかいう新聞記事を見た時、なに考えてるのだ? とか思ってしまう。
 50円で、半日以上充分に楽しめるようなものが海外にあるか?

 本に飽きたら、神社仏閣を見に行くもよし、山歩きをするのもよし、適度なエロも楽しめる---日本という国は本当にいい国だなと思う。

 ある程度の年齢となると、そう強い刺激的な楽しみというものは不要となる。
 その替り、緩く長く続く楽しみというものへ移行していく。
 筆者の場合、それが読書であり、音楽であり、山歩きなどなのだろうな。

 暮らしていく上で、大きな比重を占めるものが読書であり、それが基本的に日本語であれば、どれだけ力量のある作家の本を安価で読めるか—日本語で暮らすことの「メリット」を上の例を考えると、つくづく感じてしまう。