▲表題をみて色んなことがひっかかる。
・日本の妖怪の起源が中国にあるとの話だが、本当か。
・なぜ、妖怪と稼ぎがくっつくのか。
奇妙な表題と奇妙な前フリとなった。
中国の記事をまず、抜粋。
日本のアニメ作品には非常に多くの「妖怪」が登場する。
しかし、「日本の妖怪の約70%は中国が起源」という情報が話題になり、「中国の妖怪がなぜ、日本の稼ぎにつながるのか」と不満を口にするユーザーもいた。
こうしたネットユーザーの考え方に対して、中国メディアは異議を唱え、「結局、伝統文化を重視する姿勢が中国に足りないことに問題がある」と論じた。
記事は、「中国人は自国の伝統文化を小馬鹿にするが、自らが小馬鹿にした伝統文化を他国が発展させ、成功を収めた途端にパクりだと非難するのは、中国人の欠点だ」と。
さらに、欠点は妖怪文化にも当てはまると主張し、事例の1つとして、「山海経などの古書を除いて、現代の中国には妖怪を取り扱った大全集のような書籍は存在しない」と指摘。
一方、日本では故・水木しげる氏が半生近くを捧げて中国妖怪事典を編纂したと。
記事は「日本は中国の妖怪を使い、非の打ちどころがないアニメを制作したが、中国は祖先が残した貴重な遺産を雷劇にしてしまった」と指摘
「日本が妖怪文化の伝承と発展のためにどれほどの努力を払ったかを考えて見るべきだ」と中国の読者に説いた。
雷劇とは中国のスラングであり、「ストーリーやセリフ、キャラクター作りを大げさに誇張したテレビ番組」を指し、誇張ばかりで中身のないという批判も含まれる。
従って、記事が指摘しているとおり中国にとって必要なのは、自国独自の文化を重んじる精神に基づき、その文化をより良いものへと発展させようとする姿勢ではないか。
「日本の妖怪の原型の70%が中国起源」という点だけに注目するのではなく、それを中国と日本が「どのように発展させたか」という点にも注目すべき。
▲補足、感想など
日本の妖怪の起源がどうたら—というのは、どうも眉唾だろう。
水木さんの独自の創作の部分が大きかろう。(仮に水木さんの漫画に中国妖怪とか書いてあったとしても--)
第一、中国人がなにか妖怪のたぐいを画像としているのか。
仮に水墨画のようなものとしていたとしても、度重なる戦火の中で、近くは1960年代半ばから10年つづいた「文化大革命」の混乱の中で、破壊され焼却されているだろう。
だから。
記事に書いてあるようなことは、中国人の「妄想」そのものだ。
砂かけジジイとか一反木綿とか、ぬりかべ—なんて、どうみても中国原産ではあるまい。
どこに核心があるのかな。
「文化」というものの持つ「脆弱性」とでも言えばいいのかな。
文化は、戦争とか、混乱があれば、あっという間に消滅・雲散霧消してしまうのだ。
お祭りも、民謡も、歌も、絵も---。<当然、妖怪だってそうさ>
日本は17世紀始めから19世紀後半まで、戦乱もなく、平穏な時代が続いた。
また、2千年近くの歴史においても異民族から支配されたり、価値観の混乱・逆転が起こったことがない。
だから。
日本人が数百年の間、行った試行錯誤が、文化として残っているのだ。
例えば、朝顔の変種をつくって競うとか、様々な民謡、人形劇、短歌、俳句、盆栽などなど。
さて。
中国の妖怪がどうたらなんて、聊斎志異なんてものを念頭にいっているのだろうが、文字だけではないか。
水木さんが、画像というか漫画としたから、そこから具体的に進展があったのだ。
まぁ、水木さんは、紙芝居屋から出発しているからなぁ。
日本の歴史を振り返ると、鳥獣戯画 → 北斎漫画 → 紙芝居 → 漫画(ディズニーの影響あり) → アニメ という展開かな。
で。
これのどこに中国人が関与している?
記事に書いてあるようなことは、単に中国人の妄想だな。
だれかが、聊斎志異の影響あり—てなことをいったら、そのまま信じたということか。
このブログで、現在の中国人の識字率の低さにふれた。
文字も読めない人間も多いために、噂が本当かどうかを確かめずに広がるのだろう。
拝金主義の中国人をそんな噂が簡単に動かしてしまうのだろう。
まず、考えてみよ。
中国に日本の水木さんに匹敵するような漫画家が存在するか?
水木さんの「才能」があって、はじめて、具体化したものであろう。
妖怪がどうたらとか、そもそも、中国人となにも関係もない話さ。