▲なにやら、中国の新聞で奇妙なことを言っている。
70年前は日本鬼子で、今は違うのだとか--
そんなバカなことがあるか。
70年前が日本鬼子なら、今の日本人も当然、日本鬼子に決っているではないか。
違っている訳がない。
以下、新聞から抜粋。
日本を訪れる中国人旅行客が増えている。
中国では歴史問題で日本を恨む人が多く存在するが、中国人旅行客が現在の日本を見ることは、中国国内における日本観からの脱却にもつながるだろう。
訪日した中国人には「想像と違って日本人は友好的だった」と感想を語る人もいる。
中国国内ではドラマの影響もあり、「日本人は野蛮で中国人を嫌っている」と思う人も多い。
一方、中国メディアは、中国社会科学院の話として「現代の日本人は70年前の日本鬼子ではない」と主張。
記事は、中国人が日本という「重要な隣国」を正しく認識するかという課題に、中国社会科学院の関係者が「もっとも直接的な方法は自らの目で見ること」と述べたと紹介。
日本では中国人が訪日していることに対し、「懸念」と「歓喜」の双方があり、どちらかと言えば「歓喜」のほうが多いとし、「日本から帰国した中国人の対日観は肯定的なものへと変化する」と。
中国国内での教育と、中国人が自らの目で見た日本の姿は「必ずしも合致しない」としたうえで、むしろ中国の教育内容と「対立」が生じ、自国の教育に対し疑問を抱く可能性があることは中国にとっては懸念と指摘。
一部の中国人は70年前の日本人と現在の日本人を「同一視」していると指摘し、「現代の日本人は70年前の日本鬼子ではない」と主張、中国人が日本を自らの目で見て、理性的に分析することが必要と。
日本鬼子とは中国における日本人に対する蔑称だ。
中国語の「鬼」は本来、「幽霊」、「亡霊」、「亡者」の意味であり、外国人を蔑んで、「鬼子」などと言う。
中国の中国社会科学院の関係者が現在の日本人は日本鬼子ではないと発言していることは、中国における対日観が変化し始めているのではないか。
▲補足、感想など
対日観の変化?
ふ~ん、どうかな。
そもそもの1980年代末の江沢民さんが反日政策のはじめたところをみてみよう。
--ここから--
2013/01/29(火)
江沢民は、1989年の天安門事件で中国が欧米諸国から経済制裁を受けた時に、ソ連崩壊と共に中国共産党が崩壊することを恐れ、
国民に対して中国共産党による統治の正統性を再確認させるとともに、政治への不満から目を逸らせる為に、反日教育を推進した。
中国内で「六四天安門事件」に関連する検索を不可能にし、関連サイトへの接続を不能にした。
国内向けの衛星放送などで海外ニュースから天安門事件を報じると放送を停止させるなど、徹底した事件の隠匿を行った。
ために、本件以降に学校教育を受けた世代は事件があった事をほとんど知らない。
中国が国際的孤立から脱却するには、天安門事件のイメージを払拭する必要があった。
ために江沢民は、1992年10月、今上天皇・皇后を中国訪問に招待した。
天皇訪中によって日中友好が強調されたが、江沢民政権は1994年に「愛国主義教育実施要綱」を制定し、
「抗日戦争勝利50周年」にあたる1995年から、徹底した反日教育を推進した。
更に江沢民は、1997年に訪米し、米国を「戦略的建設的パートナー」と表現して協調の枠組み作りを本格化させた。
その際、ハワイ真珠湾へ立ち寄って戦艦アリゾナ記念館に献花を行い、ここで日本の中国侵略と真珠湾攻撃を批判した。
反日政策を推進する江沢民がアメリカに擦り寄って、アメリカに親中政策をとらせ、かつ日米離反を画策したのだ。
同年9月3日に北京で開催された「首都各界による抗日戦争記念ならびに世界反ファシスト戦争勝利50周年大会」で江は演説し、日中戦争の被害者数をそれまでの死亡者2100万(1985年に中国共産党が発表した数値)から3500万にした。
1998年8月には「日本に対し台湾問題をとことん言い続けて歴史問題を強調し、しかも永遠に言い続けなくてはならない」と外国に駐在する特命全権大使など外交当局者を集めた会議で指示を出した。
江沢民の対日政策によって中国では反日感情が高まり、同時に日本でも嫌中意識が強まっていった。
1998年11月、江沢民は中国の国家元首として初めて日本を訪れた。
この訪日で江は「日本政府による歴史教育が不十分だから、不幸な歴史に対する知識が極めて乏しい」
と発言して、日本の歴史教育を激しく非難した。
そして、今上天皇と当時の小渕恵三首相に対して過去の歴史に基づいた謝罪要求をし、その執拗さから日本国民の反発を買った。
訪日中に行われた天皇主催の宮中晩餐会で、江沢民は、晩餐会の席上で、過去の歴史について遠慮のない日本批判を行った。
しかも江は、わざわざ人民服を着用して、宮中晩餐会に出席した。
この人民服着用の件について中国側は、
「式服か民族服を着用するように日本外務省から要望があったために、中山服を民族服として選んだ」としている。
また、この訪日の際に講演をおこなった早稲田大学からの名誉博士号の授与を拒否した。
これは同大学の創立者
大隈重信が首相時代に対華21か条要求を出した為であり、江はここでも歴史問題を重視する姿勢を示した。
日本の首相による靖国神社参拝には断固反対の立場をとった。
日本に対して歴史認識で執拗に批判しているが、ベトナムからの謝罪要求については
「ベトナムのカンボジア侵攻によるものだ」として、謝罪はしていない。
2002年2月末にベトナムを訪問した際、謝罪するどころかベトナムの首脳に「もう過去のことは忘れよう」と一方的に通告し、
中越戦争のことを教科書から削除するよう求めた。
--ここまで--
筆者の憶測では、この江沢民氏へ「反日政策」を唆したのは、アメリカのキッシンジャー博士であろう。
当時のレーガン大統領の意向を受けて、日本と中国との離反工作をしかけたものだ。
なぜなら、日本と中国が同じ経済圏を作って、例えば、統一の通貨円を利用しはじめたら、どうなるか---世界の基軸通貨が、ドル → 円 となる可能性があったのだ。
それを阻止するための日本と中国との離反工作であったろう。
そして、江沢民さんは、その罠にうまうま、嵌ったということであろう。
なお、この中国の反日政策なるものを中国人は否定している。
--ここから--
2015/06/27(土)
■中国は反日教育などしていない・・中国の専門家が反論―香港メディア
中国社会科学院日本研究所の高洪副院長は、「茶座」
で、現在の日中関係をテーマに交流した。高氏は「中国は反日教育などして
いない」と。
高氏は「中国が反日を利用して国内の求心力を強めようとしている」とみられることについて、
「全く分かっていない」と反論。
「日本はいつも『中国は反日教育をしている』と言うが、全くそんなことはない。05年に中国で
反日デモが巻き起こったのは、小泉氏が靖国神社を参拝したからだ」と述べた。
また、「編集者は
『中国はなぜ派兵して釣魚島(日本名・尖閣諸島)を占領しないのか?』と息巻いていた。
私は政府の指示に従って、中日関係を如何にして冷静かつ客観的に報じるか、点火装置
ではなく消化器になるべきだと教えた」と。
--ここまで--
まぁ、韓国人と同じで、息をするようにウソが吐き出される民族だから、こんなもの。
で。
中国共産党のいう社会主義的資本主義たらいう「鵺」のようなシステムを、中国人は、実に恣意的に運用して、お金自体のもつ「合理性」に今、したたかに反撃を受けているところだ。
まぁ、矢折れ、弾尽きた—というのが、今の中国の状況なのだろう。
世界中で中国がm&a
をしているが、資本が海外へどんどん逃避しているということだろう。
そこで、ちょいと道連れに日本人を騙してやろう—と中国人が日本人へ擦り寄っているというのが、上の記事のごとき、現状の姿なのだろう。
冒頭でふれた。
日本人は、70年前であろうが、100年前であろうが、今と同じだ。
昔、日本鬼子 というなら、いまでも当然 日本鬼子 だ。なんら変わりはない。
さぁ、もう、中華思想のアブナイ奴には近づくまい。
怨敵逃散 怨敵逃散 クワバラ クワバラ クワバラ クワバラ