2016年8月2日火曜日

中国人は萌えを理解していない

理解していないというより、誤解しているのだろう。
 その誤解の根底にあるのは、歴史のうすっぺらさだ。

 中国の✕千年の歴史なんて、実際には、ぶつ切りになっていて、文化として継承されていない、連続していない。
 ましてや、1960年代半ばから10年もの文化大革命なる歴史・文化抹殺作業を続けて、それこそなにもなくなってしまった。

 受け継ぎ、未来へ引き継ぐべき技術も文化も、礼儀も、行儀もそれこそ、なにもなくなってしまった。
 それが現在の中国人だ。

 萌えという言葉自体は、まぁ、最近のものだ。
 でも、これも日本の歴史から派生したものだ。
 おそらく、日本画の一ジャンルである「美人画」から引き継いだものだ。
 女体化、美少女化—とはそんなものであろう。

 そして、日本語の「可愛い」という言葉と同様に、「対象により接近する」ためのツールと化したものだ。

 対象はもうなんでもいいのだ。
 虫であろうと、バイキンであろうと、周期律表であろう、歴史上の人物であろう-と。
 女体化、美少女化することで、自分との距離を縮めているのだ。

 以下、新聞から抜粋。

 7月に行われた東京都知事選で小池百合子氏が当選し、女性都知事が誕生する。
 前任者の舛添要一氏は、政治資金の用途に関する疑惑により、その座を追われた。
 中国メディアが掲載した記事では、理由が「萌える」のだという。

 「日本という国はどうしてこんなに萌えるのか」と題した記事が言及した、舛添氏のスキャンダルが「萌える」理由は、政治資金で「クレヨンしんちゃん」の単行本を購入したとされることだ。
 政治資金の流用という疑惑と、「クレヨンしんちゃん」というギャップが「萌える」とのこと。

 記事は日本の「萌え」について紹介。
 「美少女キャラクターを見た時に、血が湧き上がるような精神状態」と「百度」の「百度百科」で説明され、特に「二次元世界における萌え」の破壊力はものすごいと解説。
 「日本国憲法第9条を擬人化するなど、日本人にしか思いつかない、民族の天賦の才能」と評している。

 日本には八百万の神が存在するという宗教観があり、その影響により日本人には万物を人に例える習慣が備わると解説。
 日本人が「萌え」文化に癒やしを求める背景には、社会的なストレスや、「大きくなりたくない」という心理が関係しているとも。

 記事は舛添氏の話題に戻し、「彼が辞職を拒んでいた理由は『リオ五輪で東京を他人の笑いものにしたくない』というものだったが、もし彼が五輪の開閉会式に出席しようものなら、視聴者から『ああ、これが政治資金でクレヨンしんちゃんを買った知事か』と指差される。
 それこそお笑いじゃないか」と。

 「萌え」は時として「かわいい」に近いニュアンスになることがある。
 二次元の世界で「萌え」を感じるのは構わないが、上の記事が指摘する「萌え」には、子供っぽい、幼稚といった部類の感覚が含まれているようだ。

補足、感想など

 萌えに関する別の記事の一部をご紹介したい。

 --ここから--

 日本を侵食しつつある萌え文化に対し、日本の学者は様々な見方をする。
 四方田犬彦氏は「現実に向き合うことを否定すれば、徐々に学習能力が低下し、 責任感を失っていく」との見方を示す。

 大前研一氏は著書の中で、「萌え文化に夢中な若者は、 現実逃避傾向があり、消極的で向上心が無い。考えることを捨て、責任感が無い。無知を個性、若さを資本と思い込み、語彙が少なく、言葉もぶっきらぼうだ」と指摘している。

 今年のW杯ブラジル大会で、日本代表は惨敗に終わった。
 サポーターは「男子サッカーが弱くなったのは萌え文化のせいか?」と コメント。

 「萌え」は確かにかわいらしいが、現実的な困難を克服する闘志を失わせるものだ。
 なんといっても、萌えの世界にあるのは仮想の概念で、現実とはイコールで結べないからだ。

 --ここまで--

 冒頭でふれた。
 萌えも可愛いも、対象を自分へ接近させるツールに過ぎない。
 ツール自体は、中立的なものだ。

 萌え、可愛い—は、これからも様々な分野に侵入して、様々に利用される--そう考えるのが上の否定的意見より、真っ当な理解であろう。