▲このブログで何回かふれた。
おそらく、それは、「識字率」の差だ---と。
どうも、中国人にはそうとも思えなかったようで、様々な別の理由を列挙している。
まぁ、中国の新聞が列挙した項目が間違っている訳ではない。
でも、繰り返せば、日本と中国との発展の速度の違いの「原因」は、日本と中国との間での「識字率」の差だと筆者には思える。
識字率の差が、そのまま、発展の速度の違いの「差」となっている。
中国人達が、英国の産業革命に200年も遅れた理由はなんだったのか--それを考えてみよ。
そして、日本の様に識字率100%が100年以上も続くと、「その他おおぜい主義」となって、エリートも非エリートもないまぜとなって発展する様になっていく。
つまり、日本に階層というものが仮にあったとしても、あらゆる階層から、様々なアイデアが湧き出てまるで「沸き立つような社会」となる。
以下、新聞から抜粋。
2016年8月18日、中国のサイト・今日頭条に、日本を世界トップレベルの国にした3つの要因についての記事が掲載。
記事では、国土が小さく歴史の浅い日本は、過去に外国から学ぶことで成長してきたと。
古代では中国から学び、近代では西洋から学んだ。
その上で、日本人は外国から学ぶ際、飽くことなく求めるかのように「敬虔な態度で学んだこと」、日本に適したものだけを選ぶ「選択的に学んだこと」、
師匠を超えるべく「創造的に学んだこと」が、日本を世界トップレベルの国にした要因だと。
対し、中国のネットユーザーからコメントが寄せられた。
「これが日本の恐ろしいところ。記事のいうことはその通りだ」
「中華民族は日本がうらやましくて憎たらしくて仕方がない」
「日本に学んで日本を超えないと」
「敵の長所は良く学んで、自分の強さとすべきだ」
「日本人こそ真の中華文明継承者だ。われわれは外国化してしまった」
「同じ黄色人種なのに、国民の民度はなぜこんなにも違うのだろう」
「日本は本当に学ぶのが得意な国だと思う。古代は中国に学び近代では西洋に学んだ。
進んだ国からどんどん学び、しかも改良を加えていったんだ」
「中国人は過去に生きているが、日本人は現在を生きている。中国人は過去の栄光をひけらかすが、日本人は今どうやって超えるかを考えている」
▲補足、感想など
日本は、古代、中国から漢字を学んだ。
日本人は、学んだ漢字から「訓(くん)読み」「ひらかな、かたかな」をつくった。
言わば、元々の漢字を日本ナイズした—ということだろう。
ここまで中国の文化を「自家薬籠中の物」とした民族が他にいるだろうか。
ベトナム人もほぼ日本に近い歴史だろうが、ベトナム版ひらかな、かたかな—の話を聞いたことがない。
この「他者から学ぶ」ということを「守破離(しゅはり)」という段階に区別できた—というもの日本人ならこそ--かな。
守破離を具体的に説明しておこう。
--ここから--
守・破・離
仏教では習。絶・真ともいい、あらゆる道の修行における順序段階を教えている。
・守―教えを守り私意をさしはさむことなく、ひたすら基本を身につける段階である。書道の楷書にあたるもので、一点一画をゆるがせにしない心配りが大切である。
・破(は)―守の殻を破り躍進する時代である。いままでの教えを基礎とし、中核として、自己の知能や個性を発揮して次第に自己の剣道を創造する時代で書道の行書にあたる領域である。
・離(り)―孔子の七十にして矩(のり)を超えずの境地であり、あらゆる修行の結果我が思いのままに行動して、いささかも規矩にはずれることなく、一つの形や流儀流派にとらわれることもなく、自由闊達に自己の剣風を発揮できる時代である。
--ここまで--
元々はどうやら、仏教と一緒に日本に入ってきたのだろうな。
単なる「学ぶ」を、段階を追って、一段階ずつ上がっていく「状況」まで細分化して説明している。
どうだろう。
中国人のお得意な「パクリ」とはちょいと違おう。
日本人の「学ぶ」とは、こういうことなのだ。
ここまで細分化できることに、冒頭でふれた「識字率」というものが裏付けとなっていると感じないか。