▲中国人の記事って、なぜ、こんなにも「核心」をそらしてしまうのだろう。
日本人が、ランドセルを小学校へ入学した時点で買うのはなぜなのか—という核心部分を「見つけていない」。
科学的思考、合理的思考ができない—というと言い過ぎかな。
以下、新聞から抜粋。
中国人観光客による日本での「爆買い」のさなか、日本の小学生が使うランドセル購入ブームが国内で起こった。
よくできているといった評判に尾ひれがついて「神アイテム化」して買ったものの、実際にはそんな機能がない、中国の子に合わないと収束したが、中国の消費者の行動に幼稚な部分のあることが見える騒ぎだった。
中国メディアは、ランドセル購入ブームから中国人が得るべき教訓について論じた記事を掲載。
記事は、ランドセルが「爆買いリスト」に入った経緯を紹介。「GPSが入っていて子どもの位置が分かる」、「地震では頭を守り、水難では浮き輪になる」などいう情報が出回り、数万円という高価格ゆえにその「神」ぶりがクローズアップされた。
しかし、実際中国人が使おうとすると場所をとる、テキストが入らない、重いといった不満が噴出、さらに「神」たらしめた情報が事実と異なることが明らかにされた。
記事は、ランドセルを「神」というのは言い過ぎとする一方、小学生の身の丈に合わせて作った、人に優しい高品質の製品であることには変わりなく、「質を重視し、人に優しくすることで製品の価値を増すという手法は学ぶに値する」と評論。
中国では「使えない」ランドセルを購入した代金は高くついたが、その「学費」と思えば十分に価値があるとの認識を示している。
そして、日本のランドセルが中国に合わないとなれば、中国の子どもに合った製品を開発するチャンスであり、中国企業は消費者のニーズを調査し、質が高く安全安心な製品を生産、流通させるサプライチェーンの構築を目指すべきであると論じた。
また、消費者も外国の物を盲目的に崇拝する心理を捨てなければならない。
人間というものは、幼稚な行動や失敗を繰り返すことにより、それを教訓として次第に知恵や経験を蓄積し、成長、成熟していくものである。
近ごろ中国の水質や電圧に合わない温水便座、中国の子どもの生活に合わないランドセルを「爆買い」したことによる後悔は、中国の消費者にとっては教訓となったはず。
あとは、中国国内メーカーがこの現象を見て何を思うかである。
▲補足、感想など
まぁ、全体を読めばそうおかしくもないのか。
小さな子供が、ランドセルを使う意味だが、これは主目的は「子供の手が使える」ためだ。
「子供の両手を空けておく」ため。
子供は、転んだりすることが多く、手を開けておくことで、ものを掴むことで怪我を未然に防ぐことができる。また、他者から攻撃を受けた時、警告ブザーなどを鳴らすにも手が空いていなければ対応できない。
副次的には、ランドセルを背負っていることで、後ろに倒れた場合、自分の頭を打つことを防ぐことができる。
これが核心部分だ。
上の記事の文章では、次のような「視点」が抜けている。
1.なぜ、日本人が戦前からランドセルを採用し、それを使いつづけているのか。
2.ランドセルは子供にとって、どういう点で価値があるのか。
記事では、日本人が使っているからオレ達も使おう—ということだろう。
単なる「モノマネ」の発想に過ぎない。
記事を書いている記者自身に、筆者がふれたような「疑問」が湧かない。
日本人のやっていることに疑問もひっかかりもしない—という点に、中国人の「弱点」が潜んでいるのだろう。