2016年9月14日水曜日

エニグマ奇襲指令 マイケル・バーゾウハー著 1980年 ハヤカワ文庫 感想

▲全体の印象を述べれば、まあ、面白い。
 でも。
 失礼ながら、薄っぺらいな。

 ハリウッドの映画にすれば、まぁ、面白いだろう。
 映画の展開の仕方とそっくりな筋になっている。
 ただ、日本人からすれば、なんだ、これだけか—てな印象を受ける。

 今、ハリウッドの映画が飽きられているというか、ネタ不足の印象が強いことに通底している。
 どこに「物足らなさ」を感じるのかなぁ。
 例えば、マイクル・クライトンという人と比較すれば、このバーゾウハーという著者は賢くない。

 デテイルというか細部についての書き込みが不足しているのだろうな。
 いや、細部を書き込むだけの「知識」が不足しているのだ。
 だから。
 筋の展開の「虚仮威し」に頼ってしまうのだ。
 逆転劇というか、あれはなんだったのか—てな大団円となるのだ。

 ちょっと、粗筋にふれておこう。

あ、表題のエニグマというのは、先の大戦時、ドイツの使っていた暗号作成読解機のこと。これを英国の情報部がドイツから盗もうというのが、大筋。

い、英国の情報部は、フランス人の泥棒「男爵」に依頼する。
う、男爵は、盗むことを引き受け、フランスに侵入して、工作活動を始める。ところが、秘密である情報が漏れており、フランスでの反独工作員が次々に葬られる。

え、男爵は巧みに生き延び、エニグマを手にするも、独軍の切れ者に最後のところで、破壊される。
お、男爵は、英国へ帰り、英国の情報部に「スパイがいる」と報告するが、そのスパイとは、✕✕だったし、そもそもエニグマを盗む目的とは---ぐらいかな。

 粗筋を紹介しながら、あぁ、ハリウッドの映画の粗筋なんて、こんなのばっかりだなぁと思った。
 つまり、陳腐だということ。

 日本の時代劇などと比較してみるとどうだろう。
 上でもふれたデティルというものに日本の時代小説はもっと拘りがあるのだろうな。

 小説は、「筋」だけで読ませるものではない—ということか。