2016年9月19日月曜日

日本と中国との差は、日本語と中国語との差。その5

どうも、中国人って、核心を直視するのが嫌なようだ。
 別に、それは中国人のこと。
 日本人がそもそも知ったことではない。
 なんというか、僻みっぽい隣人がいるというのは、日本人としては面倒くさい。

 ただ。
 中国人って、日本人を見て、いつも思っているだろう。
 同じ人間で、あんな小国なのに、なぜ、あんな速度で発展できるのだろう?--って。

 以下、新聞から抜粋。

 中国メディア・鳳凰網は、「日本の民族性はいかに形成されたか」と記事を掲載。
 記事は、日本人や日本社会の性質は明治時代に培われたものという観点で論理を展開。
 「日本の民族性」をもたらした明治政府の政策について解説。

 まず「学ぶこと」。
 明治政府は欧米から学ぶとともに、 それが「単なる移植ではなく、無計画なものでもなかった」とし、国力を高めるという明確な目的意識を持っていたと。
 また、国を豊かにするうえで明治の指導者は一部の部門に集中させ発展させたほか、 税制、賃金の上げ渋りといった制度によって大量の国内資金が工業の投資家の手中に渡るよう仕向け、資金を国内で調達した。

 さらに、欧米列強に囲まれる中で日本が生きていくには「国家意識を持った日本国民」を育てる必要があると明治政府が公共教育運動を展開、 「国の近代化のために自分が犠牲となる」といった考えや、「私は日本人だ」という強い意識の植え付け、中央政府の権力集中、社会階級の再編成などを実現した。

 また、明治政府は意識して「国への忠誠」を復活させるべく、「民族そして国土の神聖性」という宗教的な観念を宣揚した。
 それぞれの民族には、それぞれの「民族性」が備わる。

 それは決して「天性のもの」ではなく、その民族が生きてきた気候や風土に加えて、 社会や政治制度が大きく影響している。
 どういう性質があるのかを知るのと同時に、「どうしてその性質を持つに至ったか」を知ることも、その民族を知るうえで重要なプロセスと言える。

 よその民族を理解することも大事だが、自らの民族について探る事も不可欠なのである。

補足、感想など

 学ぶこと—か。
 だから、その基礎である「識字率」が問題の核心なのだ。
 18世紀の時点で、中国人は5%、ヨーロッパで14%ぐらい。
 でも、日本人は80%(まぁ、侍階級だろうが)の識字率だったと言われている。

 明治維新というのは、19世紀後半だ。
 明治維新以後、たしかに西欧諸国に学んだことは確かだが、それ以前に「基礎体力」が日本と中国とでは違うということに着目せよ。

 識字率が、中国人5%、日本人80%だぞ。
 これだけの「差」があって、勝負になると思うか。

 そして、その差をつけたのが、中国語の「漢字のみの文」と日本語の「漢字かな混じり文」の「差」なのだ。
 言語として習得のしやすさ、学習のしやすさ—が、日本語の習得率を高め、80%近い識字率として顕在化したものだ。

 大切なことを繰り返そう。
 日本人と中国人との差は、能力の差、頭の良し悪しの差ではない。
 日本語と中国語との習得の容易さの差だ。それが識字率の差となり、英国の産業革命に中国(200年遅れ)、日本(100年遅れ)と100年の差となったのだ。