2016年9月25日日曜日

宮内庁長官の更迭の背景はなにか

安倍さんは、宮内庁長官を「能力不足」と見たということなのだな。
 親方日の丸の宮内庁長官も「やる気」がなかったのだろう。

 天皇陛下のご意向が、妙な形で表に出た—というのが、一番のポイントかな。
 侍従長から → nhk を通じて、公表されるって一体なにさ。
 また、nhkの放送後に、この能力不足の宮内庁長官が必死に否定していたな---

 あのあたりだろう。
 ちょいと、その当時の記事を転記しよう。

 --ここから--

 天皇が「生前退位」の意向を示したという報道から2週間後の729日、NHKは「第2のスクープ」を放った。
 〈天皇陛下 8月にもお気持ち表明へ〉
 〈宮内庁はテレビの中継などを通じて、広く国民に語りかける形を考えている〉

 それに対して、風岡典之・宮内庁長官は「何も決まっていない」と会見し、「意向報道」の時と同様に報道内容を認めようとはしなかったが、「明確な否定」もしなかった。
 
 宮内庁は、日頃から皇室関連報道をチェックし、事実と異なると判断すればメディアに厳重抗議し、その内容を即座に同庁ホームページで公表。
 しかし、今回のNHKの「天皇会見」報道に、宮内庁の抗議はなかった。
 そのため「陛下がお気持ちを語られるのは間違いない」とメディアはウラ取りに奔走した。

 「各社それぞれの宮内庁人脈に取材する中で日が『88日』であることが判明。場所は、皇居宮殿の『石橋の間』。
 天皇陛下は『忘れてはならない4つの日』として、623日の沖縄戦終結の日、広島・長崎への原爆投下の日(86日・9日)と終戦記念日(815日)を大切にされていることから、それらの日を避けたようです」

 しかし、会見日と場所以外の情報は錯綜した。
 「公式には何も決まっていない」の会見を巡ってこれほど混乱したのは、今回の天皇会見が前代未聞の出来事だったからに他ならない。
 「通常、お言葉は宮内庁の事務方が原案を作成し、それに陛下が目を通す。その後、宮内庁長官らのチェックを経た上で会見の前に宮内庁記者クラブに文書配布される。

 しかし、今回は事前に文書の形で『お言葉』が配られるのかもなかなか決まらなかった。我々宮内庁番が戸惑ったのは仕方ない。国民に与える影響の大きさの反面、陛下が何を話されるのか最後まで分からないままだったという状況を“平成の玉音放送”と表現する関係者もいました」

 メディアの右往左往の一方で、宮内庁と官邸の間の「肚の探り合い」も繰り広げられた。
 「様々な報道があることは承知しているが、事柄の性格上、コメントは差し控えたい」
 安倍首相は黙して語らず、菅義偉・官房長官も「コメントは控えたい」と繰り返した。

 しかし静観は表向きで、水面下では「陛下は何を語られるのか」は内閣改造の真っただ中でも官邸の重大関心事となっていた。
 官邸関係者は興味深い言い方をした。
 「官邸の事務方トップである杉田和博・官房副長官と風岡宮内庁長官の間で、マイナスとなり得る要素を和らげるなど、水面下のすりあわせが行なわれた」

 元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司氏が付け加える。
 「憲法では〈天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ〉と定められています。実際には国事行為に限らず、天皇に関しては内閣が全面的に責任を負うものと考えられている。ため内閣は事前に文言を確認すべきと考えるでしょう」

 一般的に会見は本人の考えをストレートに伝える場だが、天皇会見においては必ずしもそうはならないということである。

 --ここまで--

 どこらに、この一連の流れの核心があるのかな。
 天皇陛下が、この能力不足のやる気のない宮内庁長官を信頼されていない—ということなのだろう。

 この人にやらせると、自分の真意が国民へうまく伝えることができない—と思われたのだろう。
 だから、侍従長のルートでなんとか「議論」となるようにそっと、リークしてもらえるように天皇陛下は考えられたということだろうな。

 前の羽毛田宮内庁長官が有能であったが故に、この宮内庁長官に一層「能力不足」を感じられたのだろう。

 以下、新聞から抜粋。

 宮内庁長官の風岡典之氏が26日付で退任し、山本信一郎次長が長官に昇格、後任の次長には西村泰彦内閣危機管理監が就任する。
 天皇陛下のお気持ち表明に至る過程で、宮内庁の対応に不満を持った首相官邸が、人事でてこ入れを図ったようだ。

 宮内庁幹部の異動は春が通例で、風岡氏も当初は来年3月末まで務めるとみられていた。
 政府関係者は、退任が早まった理由について「お気持ち表明に関し、誰かが落とし前をつけないと駄目だ」と語った。

 陛下の生前退位のご意向が官邸に伝えられて以降、杉田和博官房副長官らは、退位の自由は憲法上認められていないと判断し、負担軽減策の検討を進めていた。
 そうした中で陛下のお気持ち表明の動きが表面化した。
 官邸は宮内庁に対し、「陛下が思いとどまるよう動くべきだった」(関係者)と辛口評

★追記
 掲示板に書き込みがあった。どこまで信用できるのか--は筆者には分からない。
 ただ、なにかこの風岡という人の「一面」を見せているのだろう。
 --ここから--

2012/05/22(火) 18:53:13

 宮内庁次長就任が内定時に、北側一雄氏と歓喜の抱擁
 これは目撃談ですが、風岡次長が国土交通省の事務次官であったとき、友人がたまたま当時の北側大臣に説明することがあり大臣室に行ったところ、何と風岡次官と北側大臣が風岡次官の宮内庁次長就任が内定したと言って、「歓声を上げ抱き合っており」、驚いたそうです。異様な光景ではないでしょうか。

 風岡次長については、かつて週刊現代が隠れ創価学会員と報じたことがありますが、この目撃談は、風岡次長の疑惑に関する重要な傍証ではないでしょうか。

 また、坂根東宮侍従は、建設省61年入省で、今まで若い年次で旧建設省から東宮侍従に出向した者は皆無であったのに、前例を破って東宮侍従に就任した人物ですが、風岡次長と以前から非常に親しいそうですから、やはり隠れ創価学会員であるか少なくとも風岡氏の意を受けた東宮工作員である可能性が大です。

 また、風岡氏(旧建設省出身)の宮内庁次長就任は、旧自治省、旧厚生省又は旧警察庁出身者に限るという慣例を破るものでしたが、この人事は、当時の北側大臣との喜びようから見て、創価学会の対皇室戦略(侵略作戦)ではないでしょうか。

 なお、風岡氏については、明治以降に半島から佐渡ヶ島にやってきた朝鮮人の血筋で、そのために統一教会とも関係があるという噂も聞きます。また、羽毛田長官は同和出身と言われております。

 --ここまで--