▲いや、売上がいくらか-なんて、下世話な話ではある。
それでも、200億円に到達しようなんて、アニメも久しぶりだろうな。
まず、記事から。
興収100億円も間近という驚異的なヒットを飛ばしている映画「君の名は。」。
舞台となった岐阜県では、駅や町の図書館、神社の鳥居に集うファンの姿に地元民が目を丸くし、同じく舞台となった都内の歩道橋も、
新海誠監督自身が「生活圏なのに、もうここは通えないから他の道を使っている」と、カメラを持った大勢の人々であふれ返っている。
政府が言う「クールジャパン・コンテンツ」によって地方創生が多少でも実現し、閑散とした町に活気が戻るのは喜ばしいことだろう。
しかし裏では、「国内では作品が作りにくい」という意見も聞かれ、中国や韓国でアニメスタジオが急増し、日本人作家やスタッフが海外に出てしまうことが危惧されているという。
そして、もう1つ問題となっているのが“作品のドメスティック化”だ。
「漫画原作はまだしも、オリジナルアニメは国内を舞台にした日本人だけが登場する作品が主流で、どんどん“ドメスティック化”が進んでいるのです。
顕著になったのは、大友克洋監督の『スチームボーイ』(04年公開)が大方の予想を裏切り大コケした頃から。海外を舞台にすると、国内では人気が出ないのです。
海外に憧れを抱く時代が終わり、文化的な部分を含めて過去、そして現在の日本に観客の志向が流れていることも要因のひとつです。
一方、ドメスティックな作品は海外では理解されにくい。
作品で描かれる日本に興味を持った海外の観光客が増えているのも事実ですが、このままではグローバルな視点を持った作品が生まれにくくなるでしょう」
「千と千尋の神隠し」(01年公開)は純日本的な内容の作品だが、ベルリン国際映画祭の金熊賞とアカデミー長編アニメ映画賞を受賞し、国際的な評価が高い。
宮崎駿監督のような人物が現れるなら、ドメスティックな方向性でも、もっと広がりを持つことになるかもしれないのだが。
▲補足、感想など
ふ~ん、ドメスティックねぇ。
なにをいっているやら—という評論だな。
記事にある宮崎監督が言っていた。
自分が作るアニメを外国人が見てくれることは嬉しい。でも、自分が観客として想定しているのは、日本人だけなのだ—と。
つまり、宮崎駿監督でも、想定している観客は、日本人だけなのだ。
<いや、もっとはっきり言えば、自分の作る作品の底の底まで理解してくれるお客は、日本人だけだ.。外国人にはとっても理解できない--と諦めているということでもあろう>
アメリカ人等の観客がどうたらなんぞ、考えていない。
いや、話がどこかに行ってしまった。
新海さんをポスト宮崎どうたら—言う人がいるが、新海さんは新海さんだな。
宮崎さんとは別の世界だ。
女性しか生まれない神社の家系。千年に一度、彗星が落下する村—なんてものが題材になっているのだ。
巫女姿で神楽を踊る---なんて、外国の誰が理解してくれるというのか。
こうしてみると、アニメも日本の独創した芸術ではある。