▲中国人が英語を必死で学ばなくてはならないのは、中国語だけで大学院レベルの教育ができないからであろう。
「漢字のみの文」と「漢字かな混じり文」との差なのだ。
日本の「漢字かな混じり文」であれば、大学院レベルの教育も可能だからだ。
また、同時に、これが日本人が英語下手の理由でもあるのだ。
以下、新聞から抜粋。
日本人は、日本文化の多くが中国文化を根源に持つことを知っている。
ゆえに日本の学校では漢文を習い、中国の古典文学に親しむ時間が設けられている。
漢文に付された返り点と格闘した記憶は、日本人が持っているはず。
中国メディア・今日頭条は、「日本の学生は中国の古典文化を勉強しているのに、われわれは英語を学習している」との記事。
記事は、中国の古代文化が日本や韓国、東南アジアの諸国へと伝わり、各国では中華文明の影響を深く受けてきた。
その中で、韓国ではソウルの表記を「漢城」から「首爾」に変更、漢字の廃止など中国文化離れの動きを見せる、が、日本では子どもが中国の古代文化を学んでいると。
そして「日中両国の恩怨はさておき、古代文化を重視する姿勢については、われわれに冷や汗をかかせるもの」とし、中国では英語に力を入れるばかりに古典文化教育が蔑ろになると指摘。
また、日本の学校で用いる漢文学習資料の内容を紹介。
古代の器具や楽器などが紹介されているが「もし身の回りの人にこれらの器具の名前を聞いたとしたら、何人が答えられるか」と。
また、孟子を紹介するページでは「孟子自体は知っていても、性善説などの彼の学説理論を心得ている人はどれだけいるか」と問う。
この記事に対して中国のネットユーザーからは「中国の教育における最大の失敗は、国語より英語を重視したことだ。
それなのに、中国の英語教育は平凡だ」、「恐ろしい。1000年後には日本人が中国人を名乗るようになっているかも」、「50年後、中国にはどれだけの伝統文化が残っているか。とても心配だ」といったコメントが寄せられている。
日本の学校では確かに漢文や中国の古典を学ぶ時間がある。しかし、どれだけの人が大人になっても覚えているか。そんなに深刻に考えなくてもいいのでは、という気がするが、中国の人には驚きなのだろう。
中国は今、秩序を正すために、孔子の教えをはじめとする国学を学校教育や社会教育に大いに取り入れつつある。
一方で、保護者を学校に呼んで児童たちに一斉に洗髪させる「親孝行イベント」など、形骸化した教育も問題となっている。
シンプルに、祖先が築いた文化に尊敬の念を払い、親しむような習慣を自然と身に付けるような教育、指導はできないものか。
▲補足、感想など
中国人は、英語に力を入れている—と単純に読んではなるまい。
これは、中国語という「漢字オンリーの文」では限界があるために、英語で「不足分を補っている」のだろう。
つまり、中国語のもつ「欠陥」を、英語で補ってようやく、大学・大学院レベルの教育が可能なのだ—と考えるべきであろう。
中国人って可哀想だな。
中国語と英語の2つの言語を習得して、ようやく、日本語ならば容易な「大学院」レベルの教育が可能となっているのだ。
中国の子供たちの労力の大きさを考えてみよ。
先の大戦直後、毛沢東が「中国語に日本語のかなを取り入れよう」という提言がどれだけ大きな意味をもっていたか—が今、よく理解できる。
また、その毛沢東の提言を、日本留学組の幹部達が「反対」した理由を考えると、そのもつ不気味さもよく分かる。