2017年8月15日火曜日

発言する気にもならないと菅官房長官

要するに、「キチガイはほっとけ」ということ。
 韓国という「上から下までアホ・キチガイばっか」という衆愚国家に関わるヤツがアホなんだ---ということ。

 キチガイ(あぁ、火病持ちか)には、キチガイなりの対応方法がある。

 それにしても。
 同じevenki族の公明党の山口さん、民進党の岡田さん、社民党の福島さん。自民党の二階さんとか額賀さん。あぁ、自由党の小沢さん。
 なんとか言ったらどうだ?

 もっとやれ—とか。
 もっと日本人に嫌がらせをしてやれ・日本人を卑しめてやれ—とか、大声で言ったらどうだ。
 公明党の山口さんも言っていたではないか。
 韓国人を馬鹿にしたらどうたらこうたら---と。

 もう、戦後レジームは完全崩壊している。
 日本人は、日本にいるevenki族工作員の言うことなんぞ、これっぱっちも信用などしていない。
 もう、だまされはしない。ミスリードなど絶対にされないよ。
 
 以下、文章から抜粋。

 韓国のソウル市内を循環するバスの座席に、慰安婦問題を象徴する少女像のプラスチック製レプリカが設置されたことについて、菅義偉官房長官は14日、「北朝鮮問題を抱えて、日米韓で連携して対応しなければならない時に極めて残念」と述べた。

 菅氏は、慰安婦問題について「最終的かつ不可逆的な解決」とした2015年末の日韓合意を挙げ、「合意はしっかり守っていく。国際社会に対しての約束だ」と述べ、韓国に合意の実行を求めた。バスへの少女像の設置が日韓合意に反するかどうかを問われると、「発言する気にもならない」と不快感を示した。

補足、感想など

 「キチガイは放置で」--ということ。
 もうすぐ、韓国経済もおかしくなろうが、もう、韓国のあまりのキチガイぶりにimf も手を貸さないようだ。
 当然、日本も、このキチガイ衆愚政治国家=韓国なんぞに手を貸す訳がない。
 韓国は、日本が見捨て・縁切りした国家だ。
 キチガイは、キチガイなりに自分の手で、なんとかすればいいことだ。

 まぁ、せんないことではあるが、このキチガイ国家・キチガイ民族の歴史を古田さんの文章から、振り返ってみようか。

 --ここから--

「行き止まりの廊下」の安定
 最近、韓国・北朝鮮のことを書くたびに溜息との格闘になっている。
 大雑把な見取り図を提示すれば、こういうことなのだろう。

 冷戦時代、朝鮮半島は共産主義勢力と自由主義勢力とが拮抗する緩衝地帯であった。
 北朝鮮と韓国という小国がその代理として、思想戦・心理戦・時々の小競り合いをくりかえしていた。  
 これが地政学的には安定した「行き止まりの廊下」の在り方だった。統一され、国境線が開けば、隣の大国の経済圏に呑みこまれる。
 高麗時代や日韓合邦時代がこれであり、コリアンは名前も民族も溶け、モンゴル人や日本人になった。今度はきっとチャイナ人になるだろう。  
 統一状態で国境を閉じれば、貧窮の専制国家が延々と続く。名前も民族も防衛されるが、文化もなく、法治もない。信用もなく、活気もない。
 これが五百十八年間もつづいた李朝時代である。
 全土は王土なので土地の所有権がなく、土地の売買も無く、商業もない。
 大土地所有者はいない。まさに古代である。  

 世界的に、領国支配の中世があったというのは、歴史哲学の誤りだった。
 こんなのがあったのは、エルベ河からロアール河の間と、日本群島と北インドくらいで、あとは王土に王からの恩貸地や世襲地保有者の土地が転々と散らばっているだけだった。
 それでも「廊下」のパレスチナには宗教が生まれた。
 宗教が生まれれば、約束や信用が芽生える素地がある。
 コリアに生まれたのは、シナと同じ宗族だった。宗教は生まれず、一族の祖先神だけが神であり、他はゴーストである。

 靖国神社の意味は彼らには永遠にわからない。宗族は政治権力と絡み合い、東洋的専制主義を生んだし、ある一族が偶像神になるという、偶像崇拝の類似宗教を多数生んだ。統一教などがこれである。 

■無用のバッファー北朝鮮  
 約束も信用もなく、宗族だけに依拠した古代社会が、つい百年前まで続いていたというのが、日本の海の向こう側の事情である。  
 それでも冷戦時代には、まだ理想があった。韓国は民主主義と自由主義経済の西洋型近代化を目指し、北朝鮮は集団主義と計画経済による社会主義の近代化を目指していた。

 まずかったのは、社会主義経済に相応しい経済学がなかったことである。
 思想だけで始めたのだ。計画経済とは名ばかりのどんぶり勘定のため、何ヵ年計画に必ず辻褄合わせの調整期がついた。
 土地の所有権はなく、実質的には古代経済が延々と続いていたのである。
 商業はなく、流通を無視したので、食糧は配給制だった。

 一九九一年、ソ連がアメリカとの軍拡競争に敗れて、経済破綻すると、北朝鮮はバーター貿易による利得を失い、ハード・カレンシー方式の厳しい現金払いを迫られた。
 中国もトウ小平の経済政策の時代に入り、現金を要求されるようになると、たちまち「社会主義経済」は崩壊。一九九三年、北朝鮮は計画経済を放棄した。
 国家独占資本主義に乗り換えた中国は、早々と北朝鮮を見限り、一九九二年、韓国と国交を結んだ。

■韓国の野望と失敗  
 重要なのは、この時北朝鮮の社会主義の近代化が失敗に終わり、理想が完全に失われたことである。
 経済は古代経済の地を曝し、外国貨幣数種類が国内貨幣と並び流通し、農場や連合企業所の上納金搾取は露骨になり、闇市が常設化し、配給制は崩壊していった。
 東洋的専制主義は息を吹き返し、派閥の交替は党・軍・警と激しく変遷していく。バッファーとしては無用の存在と化したのだった。  

 一国バッファーとなった韓国は、これまで通り外資を導入し、貿易に特化して経済発展をとげた。中国との貿易は年を追って拡大を続けて行く。
 バッファーの地位を失った北朝鮮は、自分で己を守ることを始めた。
 配給制を止め、全ての資金を核・ミサイル開発につぎ込んでいくのである。
 このため、一九九五年から五年間、人民は飢餓線上に放りだされ、約二百万人が死んだと言われる。いわゆる「苦難の行軍」時代である。

 何が問題だったのかと言えば、小国たちがバッファーからの脱出を試みたことにあった、と言えるだろう。韓国は外資と貿易で経済発展をとげた。北朝鮮は、核・ミサイル開発に特化し、「強盛大国」になろうとした。  
 だが現実は、韓国は外資占有率と貿易依存度の異常に高い国になっただけであった。
 家計負債はマンションの転売で増え続けた。働いて儲けるという勤労のエトスは実は低いものなのである。

 一九九七年の経済危機以来、小さい危機は何度も起こっている。
 利益を外国投資家にもって行かれる一方、輸出を増やしてGDPの半分以上をまかなう。
 アメリカから金を借りて、中国に商品を買ってもらう。
 こんなことを繰り返しているだけなので、内需が増えて行かない。持てる者と持てぬ者の格差はどんどんと広がって行った。  

 結局韓国も、民主主義と自由経済の西洋型近代化の理想に失敗したのである。
 盧武鉉大統領が「韓国は米中のバランサーになる」と言い出したあたりが、バッファーを抜け出したいという野望の始まりだったのだろう。その間、韓国の近代化はすべて失敗した。
 盧武鉉氏自身が「法の不遡及」という近代法の大原則を破り、親日派の子孫から土地財産を奪ったのはその一例である。

■地政学的な安定こそ重大事  
 韓国の近代化の失敗は、要約になるが、法治の欠如を始めとして、「信用社会の構築」「分業関係の定着」「実証主義の学問」など、すべてアウトである。  
 つまり今、朝鮮半島のかつてバッファーだった二国は、その理想ゆえに現実を忘却し、野望に走ったが故に全く逆の失望国家となった二国なのである。  

 北朝鮮はその憎悪をアメリカに対しむき出しにし、韓国はその憎悪と嫉妬を日本に向けて募らせている。それで辛うじて国内の不満をそらし、国民統合させているのである。
 結局彼らは、地政学的な地位に甘んじることができず、大国からの自立を果たそうとしたが、自らその自律性をコントロールできなかった国家だったということである。
 古代性が深すぎ、自前の文化も何もない。  

 では、周囲の大国はどう出るだろうか。朝鮮半島をバッファー・ゾーンに戻すという地政学的な力の方向に加担するだろう。これはそのようにならざるを得ないという、現実の説得力を持って周辺諸国民を納得させることになる。

 だからアメリカが空母を朝鮮半島に派そうとも、よしんば爆撃しようとも、周辺諸国民は少しも騒がしくはならないだろう。
 韓国が大統領選挙で従北勢力の核心を選んだのも、民主主義、自由主義経済、西洋近代化に失敗し失望した結果であり、そうなるだろうなという感慨しか湧いてこない。

 関心事は、どうやって彼らの狂気のような自律性のアブノーマル・コントロールに対処し、力と人口を殺ぎ落としてバッファーらしく、おとなしくしてもらうのか、その人口をどこに移すのかだけである。
 アメリカは在韓米軍の削減を実行している。韓国は安全保障への米軍の関与を維持しようとし、韓国軍の指揮権引継ぎを伸ばしてもらった。

 だが、在韓米軍の撤兵はつづく。かわりに韓国の弾道ミサイル射程を八百キロメートルまで増やすことで米韓両国政府は合意した。
 次は、THAADの配備である。これさえ作動すれば、もっと撤兵させることができるだろう。
 新政権は従北勢力だから撤兵はさらにしやすくなる。経費は安く上がる。

 日本は韓国が左翼政権下なので、再び歴史戦争を仕掛けられるだろう。
 あれは憎悪のはけ口なのだ。その手に乗らないことが肝要である。
 韓国の歴史はすでに彼らが造作し、崇め奉るまでに偶像化されている。

 私は日韓歴史共同研究の第一期と二期をしたが、第三期は絶対にしない。
 命を縮めてまでしなければならないような重大事ではないと思われるからである。

 古田博司(ふるた・ひろし)氏 

--ここまで--

 キチガイという替わりに「古代性が深すぎる」か。
 要するに、21世紀に生きている常識人ではないということだ。
 日本で言えば、平安時代、西暦1000年頃の感覚をもつ、古代人ということだな。
 
 合理性を尊ぶ日本人が、千年も前の不合理で非常識な古代人を「理解できる訳」もないか。

 さてさて、冒頭のところに戻ろうか。
 キチガイは、放置で。
 韓国は、日本が見捨て・縁切りした国家だ。
 関わらない、教えない、助けない—どうでもいい国、それが韓国だ。

 また、日本と朝鮮半島とのあれこれ一切合切が1965年の日韓基本条約ですべて解決済みだ。
 謝罪? 賠償? 捏造慰安婦? 徴用工? なにそれ、美味しいのか?
 不満があるなら、ハーグの国際司法裁判所へ訴えればいい。
 お気の召すままに。