2017年8月22日火曜日

日本のマスコミの世界で際立つ異常さ---戦後レジームの終焉

戦後レジームという「日本人弱体化工作体制」の終焉というものが、そう簡単なものじゃない—とは、ぼんやり思っていた。

 しかし。
 この加計学園騒動のような、日本中の各層に「草」のごとく存在しているevenki族工作員が、「狂ったように」安倍降ろしに狂奔するという形となるとは予想していなかった。

 まぁ、いい。
 これで、誰が「evenki族工作員」が、明白となった。
 日本人が少しづつ排除していけばいいことだ。

 以下、新聞から抜粋。

 日本のメディアが生み出したのは、受け身で、情報に踊らされる人々だと語るモーリー氏
 国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが日本と海外メディアの姿勢の違いについて語る!
 先日、テレビ番組で森友・加計問題をめぐるメディアの報道姿勢についてコメントしました。

 補足も加えながら紹介しますと、以下のような内容です。
 「メディアとは能動的に取材し、ファクトを提示するべきものだが、今回はほとんどのメディアがその役割を放棄し、野党によるショーアップされた内閣追及に加担し続けた。
 場合によっては、自民党以上に信頼を失ったのはメディアだったということになるかもしれない」

 このコメントは多くの賛同をいただいたようですが、メディア(ここではテレビ)側とユーザー(情報の受け手)側の両視点から、掘り下げてみましょう。
 日本のテレビの異常さは、
 (1)電波割り当てや記者クラブといった仕組みに守られていること、
 (2)そのため表向きは「不偏不党」をうたいながら、実際にはそれを都合よく解釈し、大衆がニュースから受ける印象の“操縦桿”を握っていること、にあります。

 「守られすぎ」で、さまざまなごまかしがあるのに、視聴者もそのヌルさに慣れきって何も感じなくなっているのです。
 一方、アメリカではCNNやFOXから独立系放送局に至るまで、イデオロギーを特化させたりニッチを狙ったりと、市場でユーザーを取り合っています。
 そしてアグレッシブにネットでも発信し、新しいビジネスにつなげる。
 その進化の過程でフェイクニュースのような“魔物”が生まれることもありますが、いまだに報道番組の動画をネットに出し渋ることが多く、高齢者をターゲットにすることで延命している日本とは大きく違います。

 こうした日本のメディアが生み出したのは、受け身で、情報に踊らされる人々。
 その危険性を戦前のファシズムに重ね合わせる声もありますが、平均年齢の若い国民が限られた情報のなかで熱狂に走ったかつてのドイツと、高齢化もあって活力を失った人々が過剰にあふれる情報を「好きか嫌いか」で偏食し続ける現代日本とは全然違う。
 それはファシズム前夜というより、映画『ライフ・オブ・ブライアン』の世界のようだと僕は感じます。

 イギリスのコメディグループ、モンティ・パイソンが製作し、1979年に公開されたこの超問題作の舞台は、西暦33年のエルサレム。
 イエス・キリストの隣の厩で同日に生まれたユダヤ人青年ブライアンは、ひょんなことから救世主と間違えられ、どれだけ否定しても信者が増え続け、最後はローマ帝国に目をつけられ磔の刑に……。そんな悲劇を、コメディタッチで描いています。
 そこにあるのは、ヒトラーのファシズムを支えたような熱狂や興奮ではありません。
 何も考えられない、考えたくない人たちが、ウソでもなんでも簡単に信じ込み、当惑する本人をよそに「この人についていきたい、任せよう」と雪崩を打つ群集心理の恐ろしさ、くだらなさです。

 今の日本は、どちらかというとこのような社会。「あいつが救世主だ」とか「あいつを引きずりおろせ」というインスタントな“情報の流動食”を人々が食べ続ける限り、“脳の生活習慣病”はなおらず、同じことが繰り返されていくのかもしれません。

 Morley Robertson(モーリー・ロバートソン)

補足、感想など

 戦後レジームという「日本人弱体化工作体制」の下で、日本にいるevenki族達を、工作員として仕立て上げ、新聞・放送業界へ送りこんだのは、アメリカであろう。
 今の日本のマスコミの状態を作ったそもそもの張本人は、アメリカではないか。

 その戦後レジーム下の「マスコミの状態」を、アメリカ人から指摘されるか---
 皮肉というか、お笑いではある。

 2000年から2010年にかけての、インターネットの普及によって、日本にいるevenki族工作員の「悪行」が日本人全員の目の前にさらされ、そこで日本の戦後レジームは崩壊しはじめた。
 ネットの完全普及が2010年頃と考えると、それから7-8年は経過している。
 もう、最後の最後なのだろうなぁ。
 
 今回の加計学園騒動の絡んで、evenki族工作員が総掛かりで、「安倍降ろし」を企てた—というのが、この数ヶ月の騒動の核心部分だ。

 マスコミで一番影響を受けたのは、女性の40代以上の「層」だ。
 いわば、日本人の「弱点」のような層なのだ。
 筆者の家人も「安倍さんは信用できない」とか言っていた。

 テレビだけをのほほんとみていると、「くりかえし、くりかえしネガキャン」をやられると、ネットのチェック機能が働かない「弱点層」は、だまされるのだ。扇動されてしまうのだ。
 それが、夏の東京都議選であろう。

 まぁ、2009年のようなことは繰り返さない。
 逆に、この安倍おろしのネガキャンの「揺り戻し」は大きいぞ。

 日本人から、今度の安倍降ろしに加担したevenki族工作員への嫌悪・攻撃が激化するだろう。
 人口の比率を考えてみよ。
 日本人11千万人、evenki1千万人 と10倍からの差があるのだ。

 覚悟せよ。日本のevenki族工作員達。