▲中国人の書いた文章を読んでいると、頭がいいのだが、頭だけで文章を書いているという気がしてならない。
千年以上も続けて採用された科挙制度の後遺症なのだろうな。
全体に、「文系」の人間が、優秀というか偉い—とか考える傾向があるのだな。
肉体労働を卑しむ、下に見る—という感覚か。
科挙にも合格できなくて、肉体労働しかできないアホなヤツと見下してしまう。
まぁ、中国人の価値観というものが、理解できる文章ではある。
以下、新聞から抜粋。
中国製品といえば「安かろう、悪かろう」というイメージが根付いているが、中国では人件費の高騰によって製品の価格競争力は失われ、製品の品質や付加価値の向上が急務となっている。
中国が製造業の高度化に取り組むなか、日本のモノづくりの実力が見えてきた。
中国メディアは、中国高速鉄道にも使用されているという日本の緩まないネジ(ナット)を例に、「日本がモノ作り大国である理由」について考察。
中国では製造業といえば「給料の安い職業」というイメージがあるようで、職人の地位も高いものではない。
しかし記事は、日本がモノ作り大国であることの背後には、職人が匠の精神を持ち、職人たちが消費者の支持を得られるよう相応の努力をしていることが挙げられると指摘。
特筆すべきは、匠の精神を持つのは職人だけでなく、あらゆる仕事に携わる日本人の多くが持つという点であり、匠の精神はもはや日本の生産活動のあらゆる場所で見られることだと論じた。
さらに、日本企業は研究熱心で、精一杯努力することを厭わず、他人が追いつけないところまでたどり着こうと努力する理念を持っているとしたほか、「消費者に最高の満足を与えることを理念として掲げる企業も多いと紹介。
こうした理念があるからこそ、中国企業が陥りがちな短期的な利益を追求する罠に陥らずに済むのだと伝えた。
続けて記事は、新幹線と中国高速鉄道には、日本企業が製造する「決して緩まないボルトとナット」が使用されていることを指摘。
高速で走行する車両は激しい振動が生じるが、その振動でナットが緩んでしまえば重大な事故につながるため、緩まないボルトとナットが必要となるが、これは日本の企業しか作れないと指摘し、こうした製品こそ「研究熱心で、精一杯努力することを厭わず、他人が追いつけないところまでたどり着こうと努力する理念」を体現した存在であると紹介。
また、中国の製造業が日本に追いつくためには、中国人の口癖でもある「差不多(だいたいで良い、まあまあで良い)」の考え方を捨てる必要があるとも伝えている。
▲補足、感想など
ふん、頭でっかち中国人。
この文章を書いている記者でさえ、肉体労働を卑しんでいるのだろう。
科挙にも合格しないようなアホが、肉体労働をしているのだ—式で、考えているようだな。
なにか、小賢しく匠の精神がどうたら—とか書いたところで、文章を書いている記者自身が、そんな油だらけになってやる仕事を馬鹿にしているだろう。
そんなエラソガリ精神で、新しいモノを作ることができるものか。
中国の外相である王毅さんなんて、技術者とか職人には絶対になれない人だ。
つまり。
上掲の文章は、頭でっかちの中国人記者が、中国の外相である王毅さんのような人間に、肉体労働をしろ---といっているような話だ。
机上の空論というか、頭の中だけでストーリーをでっちあげるような—そんな話にしか聞こえない。
このブログでふれた。
日本という国は、16世紀後半、織田信長によって、「天下一」と自称することを許された「職人」達が一杯いたのだ。
ジャンルは様々。
畳の張替えから、塀の土を塗ることから、鏡を作るなどなど。
400年以上の歴史があって、現在の日本の「匠」というものが存在するのだ。
中国はどうだ。
1960年代半ばから10年という歳月において、文化大革命という「狂乱」の中で、多くの文化人、職人達を殺害してしまったではないか。
改革開放政策が1980年代始めから。
やっと、35年くらいを経過したところか。
35年 対 400年か。
話にもなるまい。
なにより、人間の才能というか能力は様々なのだ。
誰もが科挙制度に適している訳ではない。
科挙制度に適していなくても、料理だとかものづくりだとか、様々なことに「適した」「才能」のある人間がいるのだ。
中国人は、科挙制度の影響から抜け出せ。
さもなくば、いつまでも、人間の能力の一面しか分からない民族のままだ。
日本人は、油まみれになることを嫌がらない。そこらの床に寝っ転がり、仮眠をとりながら、技術を開発することを厭わない。
その結果が、例えば、マツダのスカイアクティブ-Xというエンジンの発明につながるのだ。