2015年6月2日火曜日

太平洋戦争当時、日本の指導者には世界征服の意図があった—と。

笑ってしまう。
 20世紀の半ばなんて、こんなものなのだな。

 世界のことがかなり分かり始めたのは、インターネットが普及しおえた頃か。
 すると、日本ならば2010年頃からということだな。

 つまり、その頃までは日本人が「世界征服」をたくらんでいるのだ—式の黄禍論のようなものが、世界で・アメリカで大手を振るってまかり通っていたのだ。
 これが、東京裁判で、a 級戦犯なるものをでっちあげる根拠となった可能性があるな。

 先の大戦直後に、戦後レジームを機能してやろう—と米軍が画策したのは、この「日本人世界征服論」という荒唐無稽な論議があったかもしれないな。
 このたぐい、1960年代半ばのベトナム戦争当時使われていた「ドミノ理論」に酷似しているな。

 Mba の好きなアメリカ人って、なにかもっともらしい「理屈」をでっちあげて、国民をその気にさせるのだな。
 1960年代だったから、ドミノ理論であり、1940年代であったから「黄禍論式世界征服論」であったのであろう。

 以下、新聞から抜粋。

 安倍首相は平和安全法制特別委員会で、第2次世界大戦当時、連合国が日本に降伏を迫ったポツダム宣言について、 当時の日本指導者に「世界征服」の意図があったと言及した項目を含め受け入れたとの見解。
 「政府としては同項を含めて 受諾し、降伏したということに尽きる」と述べた。

 首相は党首討論で、共産党の志位委員長から「世界征服」の項目への認識を問われ「つまびらかに読んでいない」と、 明確な言及を避けていた。
 答弁は、首相がポツダム宣言を不服としている印象を与えないようにする狙いがあるとみられる。


補足、感想など

 ポツダム宣言に不服か---
 いや、別に筆者も不服はないよ。

 1940年代であれば、日本人というイエローは、アメリカ人から・連合国の人間からそんなことでも企みそうな不気味な民族に見えたのだろうな。

 1960年代、1970年代までのアメリカ映画にでてくる日本人の不気味さに通じるものがあるな。
 出っ歯で、メガネをかけて、しょっちゅうお辞儀をする—というのが、日本人のステレオタイプであった。

 アメリカ映画で、日本人がまともに扱われはじめたのは、そう1990年代「ライジングサン」あたりかな。

 やっと、イエローなりにアメリカ映画で「人間扱い」されるようになった。
 まぁ、やっとその頃がら、日本人をアメリカ人から等身大に見えるようになったということだろうな。

 つまり、他国の人間を理解するためには、それほどの時間を要するということなのだ。
 これは、今の移民をどうこう—という議論に警鐘を鳴らすものだ。

 他国の人間を理解し、共存するには、多くの時間が必要なのだ。
 外国人が、簡単に日本人を理解して共存という道を選択する訳がないではないか。

 ドイツで、トルコ人などが働きもせず、生活保護を貰って遊んでくらしている—とニュースとなっていた。
 日本はドイツを含めたヨーロッパ諸国の愚を繰り返してはなるまい。

 日本の移民政策に対して、日本人は余程、警戒しよう。