2016年6月17日金曜日

甘粕大尉 角田房子著 中公文庫 1979年初版 感想

どのあたりから。
 筆者が社会へ出たのが昭和40年代半ば。
 当時は、まだ、先の大戦で実際に戦った、満州でどうこうした—という人達が健在だった。
 その中に、満州にいて、「甘粕大尉がこんなところに」という感想を言っていた人がいた。

 あの甘粕大尉が—と筆者も、名前だけは記憶していた。
 話は違うが、筆者は3日で一冊ということを目標にしている。そのくらいでないと、後ろから「年齢」が追っかけてきているのだ。
 後、死ぬまで、2千冊強しか読めない、2400 → 2399 → 2398 とカウントダウンが始まっている。

 ところが、この甘粕大尉という文庫本、3日なんてとんでもない---
 半月近くかかったのであるまいか。クソ、文庫本で半月か。
 いや、話がとんでもないところに--

 以下、箇条書きにして、粗筋と感想をないまぜにして述べたい。
1.この甘粕正彦という男を実に克明に角田さんは追っかけている。

2.角田さんの「あとがき」に甘粕大尉の一生を追いかけ続けた感想が書いてある。
 曰く、「いま、私の頭にある甘粕は、鋼鉄のような強い意思で自分の命を律し切った、清々しい男の姿である」と。

3.甘粕大尉の経歴のようなものを説明する。
 この本の目次が、略歴となっているようだ。転記する。
 1)大杉栄殺害事件 大正12916
 2)軍法会議 大正1210月~12
 3)獄中 大正1212月~1510
 4)出獄 大正1510
 5)フランス時代 昭和28月~41
 6)満州に渡る 昭和47
 7)満州建国 昭和73
 8)満映理事長となる 昭和1411
 9)敗戦 昭和208

4.甘粕大尉の一生を、概観してみると、大杉栄殺害事件の実行者としての十字架を背負い、満州の建国から満州国の最後までに人生を賭けた人とでも言えばいいか。

5.甘粕正彦は、終戦直後に満州で自殺している。
 最後の頃、森繁久弥さんが会っている。
 森繁久弥さんの甘粕評を転記したい。
 「トコトンまで信頼できる、本当にいいオヤジさんだった」
 「満州という新しい国に、われわれ若い者と一緒に情熱を傾け、一緒に夢をみてくれた。ビルを建てようの、金をもうけようのというケチな夢ではない。一つの国を立派に育て上げようという大きな夢に酔った人だった」

6.略歴にもあるごとく、最後は満映の理事長だった。
 この人の精神の「傷」を感じさせるようなエピソードがある。
 それは、当時の部下からの証言である。
 「甘粕は酒を飲んでいるとき、癇癪を起こしたときだけまともに人の顔を見るが、平常の状態では横を向いて話をする、というのが定評だった」と。

7.まとめ
 この甘粕という人、ルバング島の小野田さんによく似ている。
 上官からの命令は絶対違えない人なのだ。
 若くして大杉栄の殺害犯人として罪に問われ、服役し、一旦はフランスに逃げ出すも、満州国の建国に裏側から協力し、最後は満映の理事長として表舞台に立って、日本国へ「ご奉公」しようと思い続けた人だ。

 明治18年生まれのこの人は、「明治生まれの日本人」として、一つの典型なのだろうな。
 ※なお、敬称を略させて頂いた。