▲自己崩壊という言葉にふさわしいであろう。
追い詰められれば追い詰められるほど、他者に対して居丈高となる--。
精神に余裕のない証拠だ。
自らの劣等感を覆い隠すためには、他者を上から目線で卑しめるという手法が一番効く(自分にとって)からであろう。
深い深いまっくらな穴の底に落ち込んで、どうしても抜け出せない可哀想な民族ではある。
上を見上げれば、丸い真っ青な青空がみえる。穴の上から、日本人達の明るい笑い声が聞こえる。
くそ、と穴の底から抜けだそうとするが、穴の壁はツルツルしていて、どうしても抜け出せない。
う~ん、とまっくろな穴の底から、じっと上を向いて眺めるだけ----。
記事の文章を書いた人の顔写真も添付してあるのだが、この人も火病持ちだろうな。
エキセントリックというか異様な感じがする。
韓国人は、自ら持つ火病で、自己崩壊するのであろう。
以下、韓国の新聞から抜粋。
最近、日本の我が国への感情表出が極端な嫌韓に走る姿を見せる。
隣り合う国々の歴史までも無視して認めないその理由は何だろうか?
韓日関係は古代史から見なければならない。
日本の源流は西暦660年に遡る。
百済王族らは難民になって復興を夢見て日本に避けて身を守る。
しかし、663年に白村江の戦闘で崩壊した。
この時の様子を日本書紀は描写している。「百済という名前も今日で終わりだ。先祖様の墓地を再び見ることができるだろうか?」。
倭側で見れば韓半島は先祖様の国だ。
日本人たちの胸中には先祖様の国で、一種のコンプレックスが占めている。
百済王族の難民らは倭の天皇一家に合流し、倭を支配することになる。
文化経済分野を高麗・朝鮮から習い、師匠の国、先輩の国として仕えることになる。
15世紀初期にポルトガル商人らに会ってヨーロッパ先進文物に接することになる。
鳥銃という新武器を手に入れた豊臣秀吉が日本統一後、壬辰倭乱すなわち、自分たちの故郷の地を探しに壬辰倭乱を起こした。
1867年に明治維新が起きて征韓論が再び台頭した。
この時まで朝鮮は師匠の国、資金援助者の国だったのに帝国主義の外国文物を受け入れながら、韓国を越えなくては日本の気を咲かせることはできない事実を知った。
明治維新直後は日本はアジア各国にスパイを送って情報を収集し、満州原野に広開土大王碑があることを知って碑文を操作、伽揶地域が日本の植民地である任那日本府だったと主張をすることになる。
また石上神宮に保管された七支刀を作為的に解釈し、倭王が百済に下賜したと操作する。
そして日本書紀だけ信じられると主張して征韓論の口実を理論的に作るに至る。
脱亜入欧を標ぼうして我が国や中国を植民化し、アジアの盟主を自任することになる。
韓半島を日本の一部と考える事件が公州・扶余一帯に日本天皇墓を移そうとまでしたことは単なる征韓ではなく自分たちの過去の土地を取り戻そうとする覆土の次元だった。
明治維新後から今日までアジアの盟主と自任をしたが、最近、韓国の政治・経済の成功と中国の大国化が成功してソニーをはじめとする多くの日本企業がサムスンをはじめとする様々な中国・韓国企業に制圧されるとすぐに明治維新以前の古代・中世史の悪夢がよみがえったのだ。
その上、最近、日本は自然災害まで増してこれに不満と不安の極限状態に至り、彼らの本性の内部問題を外部に回して寝かそうとする島国根性がよみがえった。
竹島をはじめ諸問題で無理難題を吹っかけ、我が国が上手く行っていることをねたましく思って牽制しているわけだ。
日本人自身に内在している一種のコンプレックスの露出である。
今、私たちの大韓民国は克日・抗日を越えて我ら自らが壬辰倭乱以前の大国に帰らなければならない。
日本に関する限り、師匠の国、先祖の国、父母の国、そして日本の根の国に帰り、私たちの度量・謹厳さを見せるべきだろう。
▲補足、感想など
なんというお伽話であろうか。
なるほど。
中国人と韓国人は似ている。
これが大学教授の文章か?
合理性も科学性もへったくれもありゃしない。
要するに、都合のいいところだけを取り出して、都合のいいように解釈したものであろう。
バカバカしさの極みだ。
冒頭でふれた。
儒教というまっくろな深い深い穴の底に落ち込んで、どうしても抜け出せない、穴の上から聞こえる日本人の明るい笑い声を、「クソ」とか思いながら、上の方をじっと見上げている—そういう民族なのだな。
どうしても穴から抜け出せないものだから、上から目線で日本人を蔑むというか、オレのほうが上なのだ—と無理矢理、お伽話をでっち上げる---。
いや、まぁ、いくらでも捏造したら--。
記事のようなファンタジー日韓交流史が、世界で通用する訳もない。
先日、日本の麻生副首相は、悪鬼羅刹のようなものいいで、もう事実上、日本は韓国を見捨てると宣言した。
日本人にとって、関わらない、助けない、教えない、どうでもいい国—韓国だ。
お好きなだけ、ファンタジー歴史を語ればいい。どうぞ、どうぞ。