▲資本がどうたらとか、声優がどうたらなんて関係がない。
中国に質より量という時代があったか?
たくさん作らなくては、いいものはできない。
どうも、中国人って、核心が掴めないのだな。
まず、核心をつかむ。
そのことが、一番の近道を指し示している。
以下、中国の新聞から抜粋。
中国では若者を中心に日本のアニメや漫画の人気が高く、日本で有名な作品は中国でも広く知られている。
中国も近年はアニメや漫画を産業として成長させようと意欲を燃やしており、実際に進歩も見られるというが、それでもまだ日本のアニメとの差は大きいようだ。
中国メディアの快資訊は、「中国アニメと日本アニメの違い」を考察する記事を掲載し、日中のアニメの違いや中国アニメが日本のアニメに敵わない理由について考察している。
まず記事は、日本と中国では「アニメがターゲットとしている年齢層」が大きく違っていると伝え、中国アニメがターゲットとしているのはあくまでも「学齢期の児童」だと紹介。
それゆえ、動物や植物などが主人公となり、内容も子どもが理解でき、子どもが楽しいと感じるものであるため、大人にとっては「物足りない」内容であることを強調した。
一方、日本のアニメは作品によって違いはあるものの、産業として見ると「すべての年齢と性別」をターゲットにしていると紹介。
主人公はあくまでも人間であり、学校生活などを題材にしているアニメも多いため、より多くのターゲットを対象に事業を展開できていると指摘した。
さらに記事は、日中のアニメでは投入される資金の額に大きな差があることを指摘したほか、アニメにおいて重要な存在である「声優」の力量にも差があると強調。
日本には声優を専門に育てる学校まであるのに対し、中国でアニメの声優をつとめるのは一般的に歌手やラジオのパーソナリティーであり、声優の「専門性」に大きな違いがあることを紹介している。
中国でも近年はクォリティの高いアニメも登場しているが、やはり内容は子ども相手のものばかりで、青少年や大人が楽しめるコンテンツは少ないのが現状だ。
しかし、こうした課題は中国のアニメ業界も認識していることであり、今後は中国から日本アニメに匹敵するような内容かつ、青少年をターゲットとした作品が登場する可能性は大きいと言えよう。
▲補足、感想など
核心は、冒頭でふれたようなことだ。
日本での物語創造力を見てみよう。
--ここから--
2011/06/21(火)
資源が無くても巨万の富を産む(可能性がある)商売だから。
ただし、全世界を見渡しても、
「物語を作ること」を商売に出来ている国は非常に限られている。
その数は産油国よりもはるかに少ない。
日本では一週間に商業の場で発売される「物語」の数は
漫画、TVアニメ、WEB配信作品も含めると
ゆうに200作品を越える。たぶん、300作品くらいはある。
この圧倒的な「数」が層の厚さとなって日本の創作メディア全体を支えている
この「数」と同じくらいの「何か」を持っている国じゃないと、
日本のマネゴトはできないんだよなぁ
--ここまで--
一週間に、300の物語を創造できるか---と自らに問うてみよ。
これだけの数の内、一つとか2つの傑作というか、これは—というものができるということだ。
中国人自身が言っているような資金とか声優ということではあるまい。
そして。
物語が創造できる—という「力」の背景には、その創造者の背中に巨大な混沌を背負っているということなのだ。
混沌とは、科学、経済、エロ、歴史、文学、戦争、闘争、差別、虐待等等、文字通りの混乱・混沌なのだ。
物語とは、混沌という土壌から成長する蓮の花のごときものだ。
上で一週間に300の物語が出てくると書いた。
そのことは、巨大な混沌を背負った300人の物語創造者がいるということを意味している。
これが、日本のアニメの背景にあるものだ。
これだけの陣容が揃って、始めて、その中で一つの傑作、一つのヒット作が出てくるということなのだ。
まず、核心を掴め。核心をつかむことが、最短距離を発見する最も有力な手がかりなのだ。
記事のようなことを考えているようでは、中国にはまともなアニメなぞ、誕生しないさ。