▲アメリカ人記者の花見への記事が面白いと思った。
日本人は数世紀かけて、「花見」という行事を完成させた訳だが、アメリカ人には、花見の楽しさが理解できない。
その「もどかしさ」を、アメリカ人記者は記事としている。
以下、文章を抜粋。
日本の桜にあってアメリカの桜にないもの、ワシントンで愛される桜の季節に欠けているものは何か?
それは靴下姿でプラスチック製のカップを持って私の前にやって来た。
"Kanpai!"
ビジネスマンは私の手から携帯電話をつかんでそれをビールのカップに置き換えてそう言った。
"Kanpai!"
桜の花の下に座っている靴下姿の友人たちが一斉に叫ぶ。
私は一口飲み、カップを彼に返そうとした、笑顔で感謝を告げてその場から去ろうと思っていた。
だが彼は首を振り、頭を大きくのけぞらせながら飲み干せと身ぶりで表現する。
私はそうした、彼がその姿を写真に撮る、周囲の誰もが私を応援していた。
バーボンストリートをもっと俗っぽくした感じと言ったらいいだろうか、(※アメリカでは屋外や公共の場での飲酒を禁止している州が大半、ルイジアナ州はアルコール規制が比較的緩く、特にバーやレストランが軒を連ねる歴史的な通りであるバーボンストリートはお酒を飲めることで有名)
アメリカと日本の桜の季節の違いを調べるために、夕方に東京の上野公園を訪れた私の前にはワシントンで見られる光景とは全く違ったものが広がっていた。
満開の桜の下は行楽を楽しむ人たちで埋め尽くされていた。
段ボール箱から作られた長めの低い宴会用テーブルが置かれ、テイクアウト用の寿司などのごちそうとビールや日本酒の瓶が大量に並んでいる。
ネクタイ姿のサラリーマンの集団がいた。
ダークスーツを身にまとったサラリーウーマンが脱いだハイヒールはシートの脇に並べられている。
彼らが持つプラスチックカップには酒が注がれ一同は笑いながら乾杯を繰り返していた。
子供を連れた家族がそこにいた、古い友人との再会を喜んでいる人たちがそこにいた、小さな箱をテーブル代わりにして一つのお弁当を仲良く食べる恋人たちがそこにいた。
提灯の明かりで照らされた桜が天を覆うように、公園の小道の周りは夜のパーティーを楽しむ人たちで覆われていた。
靴下姿の男とその友人たちは、桜の下でその一瞬一瞬を楽しむ日本の何百万人もの人々の中の一部だ。
彼らは朝の散歩で、昼休みの散歩で、夜遅くのピクニックで、毎日、毎時、その花びらが必死に枝にしがみついている瞬間を見て舞い上がっている。
花びらが落ち始めても彼らはこのイベントの閉幕を楽しむために空を見上げ続ける、桜の花が大量に空を舞う桜吹雪はまるでハローキティの世界だ。
日本の桜自体はアメリカで見られるものと違いはない。
もちろん数は違う、桜は日本全国で爆発的に咲き誇る、規模はアメリカ人の愛する桜の名所であるワシントンの
タイダルベイスン 周辺やその近隣の公園を小さく見せるほどだ。
タイダルベイスンの桜の木々は1912年に東京都知事から寄贈されたものであり、アメリカ合衆国国立公園局はそれらを情熱的かつ完璧に扱ってきた。ジェファーソン記念館を背景に
ふわふわとしたピンク色の花を大量に付けた桜が水面に向かって枝垂れる光景ほど心打つ光景はない。
そう、私たちもこの花を愛でる美意識を持っているのだ。
私は日本を訪れた際にこのタイダルベイスンの桜の写真を日本人に見せた、自然とその土地とが調和しバランスのとれた風景を、西洋に咲く桜の光景を彼らは心から賞賛してくれた。
だが日本の美しさをここアメリカで再現することができても、アメリカではこの花に対するリアクション、この花が与えるインパクトと魅力を受け取る側の人間の反応を再現することに苦労している。
D.C.では、花見は『ToDoリスト』に入っているイベントのような扱いになっているように感じられる。
私たちは花が咲いているのを見て、タイダルベイスンの入り江をぐるっと回る人々の流れに入り、写真を撮る。「チェック(☑)、やるべきことはやった」となりそこで終わる。「次にこの辺りに戻ってくるのは何か別のイベントがあった時だろう」となるのだ。
だが日本では花見は本物の娯楽だ。
それは我々で言うところの
マルディグラ だ。
我々は桜の花を見ることを
“cherry-blossom viewing” や
“bloom gazing” や
"flower viewing"
などと呼ぶが日本には “Hamani”
という専用の言葉まである。
日本中の人々が桜の咲く1週間あまりをどんちゃん騒ぎで過ごす、日本の花見とはそんな国家的なイベントなのだ。
私が京都に訪れた際には着物を着た女性が桜の遊歩道の中を闊歩していた、花が咲き乱れる木から木へ移り、微笑み、ポーズをとりながらセルフィーを撮る光景があちらこちらで見られた。
花見の時期は毎日がプロム(アメリカの高校などで学年末に正装で行うダンス・パーティー)やウェディングが行われているかのようだ。
大阪から長野にかけて、人々は皆一様に外に出て咲き誇る桜を前に膨大な数の写真を撮っていた。
花見の名所は祭りの会場のようだ、おにぎりからタコの触手、焼き鳥などを売る露店がずらりと並ぶ。お祭りには付き物のゲームを提供する露店も並ぶ。そしてその店のすべてがピンク色で装飾されていた。
東京郊外の公園では、数十人の家族が桜の木々の下でピクニックや日帰りのキャンプを楽しんでいた。
学校が休みの日の昼間に子どもたちを連れた家族が山や海でアウトドア活動を楽しむように、テントや折り畳み椅子、毛布、おもちゃ、ボール、お弁当、スナック、ドリンクを用意して楽しんでいた。 彼らは夕暮れまで滞在し、子供たちは家に帰ることを望まない。
横浜のゴルフ場では緩やかに起伏している丘陵の中で桜が満開に咲き乱れ、そこは家族向けのフェスティバル会場となっていた。
そこはピクニックをする場であり、ドッグランがあり、寄せ集めのチームによる野球などが行われていた。
集まった人々は「メリークリスマス」や「ハッピーニューイヤー」のような、「ハッピー花見」に相当する挨拶で喜びを共有していた。
D.C.でも日本のように、本物の花見のように楽しもうという試みがなかったわけではない。
私がまだレポーターだった時のある年、私はアメリカの桜を取材したことがある。
私はアジア系アメリカ人の家族が桜の木の下で酒に浸かったピクニックを試みようとしてアメリカ合衆国国立公園局に取り締まられる事件について書いた。
残念ながらアメリカ合衆国国立公園局の管理下にある土地ではアルコールは許可されていなかった。
私はまた日が暮れた後に花を見るためにタイダルベイスンに現れた少数の人々について書いたこともある。
夜桜は花見においてとても大きな部分を占めている。
日本の公園や歴史的建造物などのランドマークでは夕方から桜を照明で照らしたり、音楽に合わせたカラフルなライティングをして昼間とは違った桜を楽しむことができる。
ではD.C.の夜はどうか?
私が夜にタイダルベイスンを訪れた際に見つけたのは日中に来る時間がなかった少数の連邦政府の職員や人目を避けて逢引する恋人達などだけだった。
本格的な夜の花見?
ライト? ピクニック?
私が日本の東京で水曜日の夜に見た遊歩道の周りを埋め尽くす花見客?そんなものはない。
日本的な花見を楽しもうという試みもあるにはある。桜の開花にあわせてワシントンDCで開催される『さくら祭り』には大きなパレードがあり群衆が詰めかける。
普段のD.C.とは違ったお祭り的な雰囲気が訪れる。
だが日本の花見を知ってしまった私からすれば、もうちょっと頑張れるのではないかと思ってしまう。
桜の魅力の中核となるもの、桜の持つ魔法/魔力はその刹那的で儚い性質にある。
それはスケジュール通りにならないものだ。完全に予測できないものだ。
思い通りにならず、人間が制御することができないものだ。
いつその花を咲かせるかは桜の木次第、しかもその時が来てもそのピークはあっという間に過ぎ去っていく。
私は日本人がそうするように、その自然の美しさと儚さに我々も思いを馳せることができると信じている。
だが
D.C.に住む我々には欠けているものがある。
人並み以上の成功を収めようと仕事を必要以上に頑張ったり、忙しいスケジュールに追われたり、A型行動形式(よく遊び、よく働き、競争的でエネルギッシュなタイプの人間)だったりするこの地域の性質は、いつ来るかわからないセレンディピティ(素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること)を待ち続ける能力を我々から失わせている。
桜の美しさを、その短い命を懸命に燃やす様を、そしてすべてが無くなる哀愁を喜びをもって体験するために、
D.C. の人々よ、この時だけはそんなことを忘れてしまおう。
平日の夜にタイダルベイスンに行こう。毛布を持ってきて遅くまで上を見上げよう。
仕事の事をひとまず置いて、納期のことを頭から消してしまおう。
そして靴を脱いで靴下で歩いてみて欲しい。見知らぬ人に挨拶をしてほしい。
花だけ見るのは止めよう。それがHanamiだ。
▲補足、感想など
う~ん。
なにより、歴史の浅さ・文化の薄っぺらさというものを感じてしまう。
たかが、花見という行事でさえ、数百年という時間を掛けなければ本物にならないのだ—ということがよく分かる。
中国人の書いたお花見の文章をみてみよう。
--ここから--
春が近づくにつれ、日本列島は今年も、1年で最も華やかな桜の開花シーズンを迎えた。
日本の古語で「桜の頃」は、「春の季節」を意味する。
日本人の心の中では、桜の花は春を代表するものであり、お花見は、春への賛美そのもの。
桜のシーズンが来ると、日本人は満開の状態からやがては散りゆく桜に酔いしれる。
また、数多くの外国人観光客も、春の到来とともにもたらされる耽美を味わうために、続々と日本を訪れる。
(文:叢雲峰。文匯報掲載)
〇皇室から一般庶民までこぞって狂喜
日本のお花見の起源は、奈良時代に始まった花祭花宴に遡る。
当時、日本の皇族は中国から伝わった梅を鑑賞する宴を催した。
平安時代になると、お花見の対象が梅から桜に変わり、大規模なお花見イベントが登場した。
日本の華道の始祖と言われている嵯峨天皇は、毎年春になると、「桜鑑賞の宴」を催し、それが伝統的な慣習となっていった。
その後、お花見の風習は、皇族から貴族・武士に広まり、江戸時代に日本経済の発達と庶民の生活レベルが向上するにつれて、お花見が貴族階層から庶民に伝わり、宮廷から民間まであらゆる階層の日本人にとって最大の楽しみとなった。
〇散り行く桜に対する潔さに感嘆
桜が昔から日本人に愛されてきたのは、春の訪れを告げる象徴であるだけでなく、あっという間に散ってしまう桜のはかなくも美しい生命と、その短い命が終わる時の静けさと潔さが日本人の心に響くからだ。
春の訪れを告げる桜の木は、昔から日本人の生活に身近な植物だった。
古代には、正確な温度観測データがなかったため、桜の開花は、農業で年に1度の種まきシーズンの訪れを告げるサインだった。
特に、何もかもが枯れ果てる長い冬を耐えてきた人々は、早く春が訪れて欲しいという期待を、桜の開花に託したのだ。
また、桜の木は、日本人が重んじる人生観と価値観を体現している。
桜の開花はごく短い。蕾が膨らみ、花が咲き、散るまで、せいぜい1週間から2週間で、花びら1枚1枚はとても小さいが、ほころび始めると全ての花びらが一斉に開く。
開花後は、あっというまに花びらが雪のように地面に舞い落ちる。
さながら生命が終わる瞬間のようで、渾身の力を振りしぼって有終の美を飾る。
日本人は、桜から、短い人生に対する虚無的なセンチメンタリズムを感じ、潔く散る美しさに感動する。
だが、それよりも、桜は、限りある生命の中で自分を最大限に生き抜く勇気という素晴らしい贈り物を、日本人に与えてくれる。
桜が一斉に開花して咲き誇り、また一斉に桜吹雪となって散ることも、日本人の強い団体意識とマッチしている。
もし山に1、2本しか桜がなければ、開花に対する思い入れもそれほど強くはならない。
だが、川の土手に植えられた桜が一斉に開花するシーンは壮観であり、見る人を感動させる。
〇「お花見」シーズンに現れる日本の「もう一つの顔」
「お花見」は法定休日ではないが、その熱狂ぶりは、全国的な祝日の祝典に決して劣らない。
お花見シーズンが来ると、日本全体が普段と異なる動きを見せる。
皇室と内閣総理大臣は、皇居のお庭で大規模な「春の園遊会」を開催し、各界で活躍した人々を招待、顕彰する。
また、一般企業は、仕事が忙しいにもかかわらず、半日休みや終業時刻を早めにして、各種飲料や軽食を従業員のために準備し、付近の公園で、ともにお酒を飲みながら桜を楽しむ。勤め人以外の人々も、友達や家族とともに、お花見に出かける。
このようにこの時季になると、普段は物静かな日本人が突然騒ぎはじめるのだ。
都市部や田舎に関わらず、桜の木の下は、ありとあらゆる人で埋め尽くされる。
このような賑やかで騒々しい感覚は、日本と日本人のもう一つの顔といえるだろう。
日本の会計年度が4月から翌年の3月であることから、4月は新入社員が入社し、新入生が入学し、社員が転勤となり、退職者が新生活をスタートする時期にあたる。
様々な人生と様々な感情が交錯する状況から、桜の木の下は、日本人が自分の気落ちを表現し、苦しみを嘆き、涙を流す最高の舞台となる。
一本の桜の木の下に、親しい者同士が1年に一度集まり、その後バラバラに散っていく。
一緒に食べ、飲み、歌い、踊り、泣き、笑い、その姿はさまざまで、普段は決して見ることができない。
人々は春の情熱と楽しみを一緒に思い存分発散することは、生命と生活をめぐる日本人の一種独特の思考や文化を表現している。
--ここまで--
アメリカ人と中国人とで、花見に対する「理解の深さ」の違いを感ずる。
なるほど、中国人は賢くて深い。
中国という歴史の長い文化を背中に背負っているからだろうな。