2015年4月13日月曜日

日本は韓国人を見下している---か。

見下す?
 そういう表現となるのか。

 筆者は、韓国人って科学的思考の出来ない、産業革命に500年も遅れるノロマな民族だ—と思っているが、これが「見下す」なのか。
 事実を事実のまま、表現しているだけであろう。
 白いものを、これは「白い」と言っているだけではないのか。

 なにが「見下す」だ。
 自分の姿が「直視」できないだけではないのか。
 脳内お花畑で、自分で自分をごまかしているだけではないのか。


 以下、新聞から抜粋。

 2015411日、聯合ニュースは、日本文化庁のホームページ上で重要文化財の製作時期を韓国側の主張と異なる「任那」と表記していることについて、同庁が変える可能性は低いと伝えた。

 東京国立博物館にある日本の国宝級の重要文化財に、「金銀装環頭大刀柄」「金銅翼状冠飾」などがある。
 文化庁のホームページでは、これらはすべて4世紀後半ごろから6世紀ごろに日本府のあった「任那(※朝鮮半島南部)」から出土したと記されている。

 しかし、韓国側はこれらはすべて慶尚南道・昌寧から出土した6世紀の三国時代の遺物であるとし、日本側の主張を「歴史歪曲だ」として問題視。

 このような中、青柳長官は、「文化庁がいくつかの韓国文化財の製作時期について『任那』とした表現を変えるかどうか検討する計画があるか」との問いに対し、「そのようなことに関しては、まだ聞いていない」と述べた。

 また、「任那時代とする表現は、そのままで大丈夫だと思うか」いう問いに対し、「ずっと変わらない状態だった」と述べた。
 報道は、「反応は消極的で、自らの意見を明確にしなかった」としている。

 この報道に、韓国のネットユーザーから多くの意見が寄せられている。
 以下はその一部。

 「韓国はなめられている」
 「一日も早く、国力を強く育てねばならない」

 「日本の歴史自体を好きなように編集しているんだ」
 「日本は9999%韓国を蔑視している」

 「今回の問題も、日本に踊らされている。日本は非常にしつこく、自国に不利なことがあれば、最後まで食い下がる。私たちは感情だけを優先させても、日本から何も得ることはできない。韓国には日本のように緻密な戦略家がいないことが問題だ」

 「日本が韓国を挑発しているのは事実だが、日本との国交断絶のような話が持ち上がるのは情けないばかりだ。工場の現場に行ってみれば、設備や部品には、MADE IN JAPANと書いてある物が多くある。日本は韓国にとって必要な国だ」

 「韓国人はこのようなことに関心がない。アイデンティティーと自尊心が消えてから、すでに長い時間が経過した」
 「日本が問題なのではない。韓国の無能な政治が問題なのだ」


補足、感想など

 本当になんのこっちゃ、という感じだな。
 任那日本府(みまなにほんふ)は、日本書紀だっかに載っている朝鮮半島の南端にあった、日本の出張所のような部分だ。

 ちょいとウィキペディアから転記してみよう。

--ここから--

 任那日本府とは、『日本書紀』の雄略紀や欽明紀などに見える、古代朝鮮半島南部の伽耶の一部を含む任那にあった倭国の出先統治機関。
 宋書倭国伝の記述にも任那という記述が見られ、倭王済や倭王武が宋 (南朝)から任那という語を含む号を授かっている。

 任那日本府の淵源を『日本書紀』神功紀にある「官家」に求め、任那日本府は伽耶地方=任那地方を政治的軍事的に支配したとするものである。
 そのため三韓征伐のモデルとなった朝鮮半島への出兵を4世紀半ば(神功皇后49年(249年)を干支2巡繰り上げたものと見て369年と推定する)とし、以降、当地域は倭王の直轄地であったとした。

 また、任那日本府は当初は臨時の軍事基地に過ぎなかったが、やがて常設の機関となったとみられていた。
 その後、高句麗や新羅が百済北部を侵すようになると、百済は執事の功績を賞賛し、大和に援軍を求めた。
 554年、百済が新羅に敗れて聖王(聖明王)が殺され、562年には任那全土が新羅に奪われるに至り、日本府は消滅したとされる。

 宋書倭国伝の記述では451年、宋朝の文帝は、倭王済(允恭天皇に比定される)に「使持節都督・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事」の号を授けたと記述している。
 また、478 年、宋朝の順帝は、倭王武(雄略天皇に比定される)に「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」の号を授けたと記述しているため、宋朝は倭が朝鮮半島南部に大きな影響力を持ち、事実上支配していると認識していたことを示しており、上記の見解と一致している。

--ここまで--

 5世紀頃の話だ。
 国境など決まってもいない時代だ。
 朝鮮半島南部にも多くの原日本人が暮らしていて、領土のようなものを持っていたのだ。

 ところが。
 戦後、戦後レジームという日本人洗脳工作体制の中で、日本の歴史学者の中にも、多くの朝鮮系の人間が紛れ込み、この任那日本府という歴史的な事実を、意図的に捻じ曲げてきたのだ。

 2014年、戦後レジームが完全崩壊したことで、戦後半世紀以上も朝鮮系の工作員学者により、捻じ曲げられてきた日本の歴史を元に復旧した段階で、韓国から記事のような「非科学的なナンクセ」をつけてきた—ということだ。

 任那日本府という歴史的な事実を、日本の歴史学会に巣食う朝鮮系の工作員で半世紀以上もだまされてきたが、ここにきて元に戻しただけだ。

 韓国人からとやかく言われる筋合いはない。
 事実は事実だ。
 白いものは白い---それだけではないか。

 お花畑のような頭脳で解釈捏造して、そんなものがいつまで通用するものか。