2015年4月11日土曜日

強制動員たって、両親はどうしていたのさ。

捏造慰安婦がらみの記事を見るたびに思うのは、10代の少女がどこかいなくなって、その両親が黙っている訳がない—ということだ。

 誘拐というならば、親が警察へいって、誘拐事件として大騒ぎとなるだろう。
 誘拐ではない—ということは、両親が「了解」していたということだ。

 だから。
 慰安婦となった少女達の話は、高額の前払い金を貰って、親が自分の娘を女衒業者へ売り飛ばした—ということなのだ。
 この部分を「隠して」、やれ強制のなんの—と言って捏造しているのだ。

 日本の軍隊の組織の中に、女衒業者がいた訳ではない。

 民間の女衒業者が、日本の軍隊の基地近くに、売春をさせる施設を作って、そこに朝鮮半島とか、日本の国内から慰安婦を集めて、住まわさせていたのだ。

 以下、新聞から抜粋。


 日本人ジャーナリスト川瀬俊治さん(68)が、「日本軍慰安婦のおばあさんと共に生きる統営巨済市民の会」の記者会見に出席し、 慶尚南道統営出身の女性およそ20人が従軍慰安婦として強制動員されたという話を暴露した。

 川瀬氏は、統営出身者など10代から20代までの女性およそ20人が、奈良県天理市の 柳本海軍飛行場の管轄地域内にある軍の慰安所に強制動員され、慰安婦として働かされたと説明した。

 また、取材ノートの地図には、海軍施設部の下の2カ所に慰安所があった ことが描かれていた。 これは、川瀬氏が19758月、天理市で在日朝鮮人のキム・ジョンシさん(当時67歳)などを取材した内容とのことだ。
 取材当時の話を基に、強制動員された元朝鮮人慰安婦の壮絶な暮らしも伝えた。

 川瀬氏は「慰安婦 として連れて来られた女性は20人を越え、極限の窮乏状態で軍事用メチルアルコールを飲んで空腹 に耐え、近所に住む在日朝鮮人の男性が女性を救出して1年間かくまったという話もある」と紹介した。

 こうした歴史を伝えるため、天理市の市民や歴史学者など が95年に朝鮮人強制動員の歴史を記した案内板を作り 活用したが、天理市は昨年4月にこの案内板を撤去した。

 天理市は、植民地時代に従軍慰安婦として韓国から連れていかれた被害者が最も多い場所といわれ ている。
 およそ20年前に韓国政府が調査を開始した際には、6人が確認された。
 現在では、 元慰安婦、キム・ボクトゥクさん(98)だけが生存している。

▲補足、感想など

 記事の川瀬さんというのも朝鮮系洗脳工作員であろう。
 記事にさらっと「軍の慰安所」とか書かれてあるが、大嘘であろう。

 いや、慰安所がなかった—という意味ではない。
 軍の慰安所 という表現がウソだというのだ。

 日本軍というのは、公の組織だ。
 日本軍という組織の中に慰安所を運営するような「部」とか「課」でもあったのか。
 慰安婦を集め、食事をさせ、寝具を用意するとか、お風呂にいれたり、お金を集めたりするような部とか課があったのか?

 それならば、必ず、日本軍の記録として残る。
 残念ながら、日本軍の記録の中にはそんなものは皆無だ。

 だから。
 慰安所を運営していたのは民間の業者なのだ。
 日本軍とは直接、関係はない。

 民間の女衒業者が、日本軍の基地近くに慰安所を作り、高額の前払い金を支払って、親から娘を買い取って集めていたのだ。

 記事で、窮乏状態でうんぬんという表現があるが、それは民間の女衒業者とそこで働いていた売春婦との間のもめ事であり、日本軍となんら関係のないことだ。

 強制動員なる意味不明な言葉を使っているが、要は、民間の女衒業者が朝鮮半島、日本国内から、貧しい家の親から娘達を「高額の前払金を支払って」集めた—ということでしかない。

 待遇がどうとかは、民間の女衒業者とその被雇用者との関係であり、日本及び日本軍となんらの関係はない。

 また、民間が運営していた慰安所であり、基地近くであったから、お客は多くが日本軍兵士であったろうが、軍以外からのお客が来ていたろう。
 日本軍の—という言い方は、その点からもおかしかろう。

 記事全体からは、捏造臭がプンプンする。
 こういう捏造話に日本人はだまされるな。
 日本人のふりをした朝鮮系洗脳工作員達のうさんくさい話にだまされるな。