2015年7月17日金曜日

多数決が民主的か—だとさ。朝日新聞。

ふ~ん。
 それにしても、朝日新聞のような朝鮮系工作員から、民主主義を説明されようとも思わなかったな。

 あぁ、戦後レジームの「夢よ。もう一度」てなことか。
 2000年頃までは、朝日新聞などの朝鮮系洗脳工作員達によって、日本人を簡単に洗脳できたからなぁ。世論誘導も簡単だったし---

 たしかに。
 民主主義というものが、ベストの制度かどうかは分からない。
 しかしながら、試行錯誤しながら、やっと20世紀後半になってたどり着いた方法なのだ。
 ここまでたどり着くためには、どれだけの人間の血が流れされたろうか。
 長い歴史のなか、人類の叡智でやっと生み出した「形式」なのだ。

 さて。
 民主主義の根幹にあるものは、「多数決」という決定手段であろう。
 多数決の根底にある発想は、最小単位である個人が、大多数、平々凡々たる特別の能力もない人間だという考えかただ。
 そりゃ、少数の能力者もいるだろう、また、少数の無知蒙昧もいるだろう。
 それをひっくるめて、多数の者が賛成した方法を採用するとしたものだ。

 この多数決によって、2009年には朝鮮系民主党が政権をとったのではないか。
 朝鮮系工作組織の朝日新聞としては、あれはどうだったのだ?

 以下、新聞から抜粋。


 「多数決」は民主的な決め方だが、問題点をとらえ直そうとする刊行が相次いでいる。
 安全保障関連法案は衆議院で採決される公算大だ。
 異なる意見を取り入れながら物事を決めるにはどうしたらいいか。

 「主人公」はアンドロイド。体にカメラが埋め込まれ、オンライン中継されている。
 行動は、集まった人たちの「多数決」が決めていく。

 漫画「デモクラティア」の設定。
 彼女を製作した技術者は言う。 「動かしているのは、“人類の英知”そのもの…だとすると…それは人間よりも人間的に正しい」

 きっかけは、ネット世論が体制の崩壊につながった「アラブの春」だ。
 数の力が世界を変えた。
 それを目の当たりにし、作者は「多数決」の問題を考えるようになった。

 多数決への不安がにじむ場面がある。世論の決めたアンドロイドの行動が、人の死の遠因になってしまうのだ。
 「集団の熱狂は一線を越える。多数決が正しいと言い切っていいのか、という考えを投影しました」

 多数決こそ民主的な仕組みと考える人は多い。
 「選ばれた私の言うことが民意」と言う橋下大阪市長はその典型例だろう。

 慶応大学の教授は、多数決の結果ばかりが重視される状況に危機感を募らせ、
 『多数決を疑う』を刊行した。
 「多数決をありがたがるのは、ただの多数決主義。『私たち』をどうにか尊重しようとする民主主義とは違う」

 「民意」は選び方次第で変わる。

 例えば有権者21人がA、B、Cの政策のどれかに投票するとする。
 結果はA8票、B7票、C6票。多数決ならAが集団を代表する意見になる。

 だが、Aに投票しなかった全員が「Aだけは嫌だ」と考えていたとする。
 Aの否定派が13人と過半数なのに、採用されるのはAだ。
 全員から2番目に支持されても、1票にもならない。
 「だから多数決で勝つためには、万人に配慮してはいけない。誰かをたたいて対立構図を作った方がいい」


補足、感想など

 なにか、詭弁だな。
 冒頭でふれた。
 2009年の朝鮮民主党を政権につけた、「多数決」は正しかったのか。

 要するに。
 朝鮮系工作組織=朝日新聞は、自分の都合のいいときには多数決賛成、安保法案のような本国韓国政府が気に入らないような法案が通った場合は、多数決反対—と言っているだけではないか。
 単なる、ご都合「多数決」ではないか。

 確かに。
 多数決は、欠陥の多い決め方ではある。
 それでも、歴史上の長い試行錯誤を経て、やっとたどり着いた「選択方法」なのだ。
 今の中国をみよ。
 この欠陥の多い、「多数決」という「選択方法」すら採用されていないのだぞ。

 少数意見にも配慮しつつ、この「長い歴史の果てにやっとたどりついた選択方法」である「多数決」を採用して、ものごとが決められるという「喜び」をかみしめよう。