2015年7月23日木曜日

日本を呪わなければならない—と韓国人。

なにか、キチガイじみているというか、火病持ちの発言ではある。
 でも、この人、新聞社の論説委員らしい。

 で。
 こういう発言をすれば、日本人が「ひっこむ」とか思うのか?
 そうではあるまい。
 日本人は、「もう、日韓は修復不能だな」とますます感じるだけだ。

 戦後レジームの崩壊という「現象」は、日本を「極東の虎」としたが、韓国を単なる「貧乏な火病国家」に落とし込んだようだ。

 しかし、これは日本が韓国をどうした—という話ではない。
 民族というものが本来もつ「民族性」「民族の持つ核の部分」が、「戦後レジームの崩壊」という現象を契機として、顕在化しただけだ。

 このことは、日本にいる朝鮮系洗脳工作員達が「益々、根無し草」の様な存在と化することを意味している。
 このまま、日本の中にいて「日本を卑しめることに密かな喜びを感じる」日本人の顔・フリをした「異分子」のままでいるのか、それとも「転向」するか—という。

 さぁ、とっちだ? 

 以下、新聞より抜粋。

 鳥肌が立つのは、民族に対する日本の悪意だ。
 理由なき悪意。従って、日本の悪意は「先天」と見る。

 日本の悪意は進行中だ。
 日本が我が民族に及ぼした害悪が多大かは独島侵奪野心と歴史反省の姿勢にあらわれる。

 筆者は日本は必ず地球上から絶滅させなければならない人種であることを、確認している。
 特に地域感情が日帝によって作られたことを、私たちは知っておかなければならない。

 日帝36年の怨恨もあり、日帝が残して行った民族分裂政策があったことを想起せねばならない。
 なぜ私が日本を呪わなければならないかに対する答になるからだ。

 1945815日、彼らは韓半島を離れながら、二つのことを言って去った。
 一つは10年後に帰ってくると、また一つは我が民族が永遠に団結と和合できないだろうと。
 植民教育の中に毒素を入れたという意味だ。

 日本は19193.1運動に接し、韓半島統治で植民教育を強化した。
 そうして皇国臣民を育てるために国民学校をたて、洗脳し始め、民族精神を抹殺するために学校から国語を奪い、伝統と文化に対する否定的な意識を教えた。

 花札を流行させたのも民族精神抹殺政策の一環。
 花札は勤倹節約の美風良俗を害し、私たちは怠惰な国民に成った。
 しかし、歴史を持った民族が一日で洗脳される理由はなかったし、植民教育の強圧を突き抜けて光州学生運動が起きた。
 この事件で日帝は方向を修正。それが民族分裂政策だった。

 民族分裂政策は湖南に対する排他的意識を育てることから始めた。
 湖南は日本敗北の羞恥を抱かせた場所だ。
 壬辰倭乱当時、李舜臣将軍の部下に勇敢な湖南人がいたし、幸州山城での大勝にもクォン・ユル将軍について行った全羅道出身の将卒らがいた。
 小西行長は幸州山城の敗北を、全羅道出身の将卒らの奮闘を理由に上げた。

 日帝が残した教育の毒素は民族分裂のための地域差別だった。
 今でも呪いが生き残って理由はその最初が北朝鮮の対南工作、次が地域差別の実体を悟らない愚昧な国民にあるというだろう。

 筆者は北朝鮮との戦いで勝とうとするなら、先に韓国内葛藤の根因を除去しなければならないと信じる。
 ためには葛藤の出発が地域感情であり、地域感情は日帝の陰謀だったことを、今は知らせなければなければならないと。

 もし国家に危難がくれば、幸州山城と鳴梁に向かって走って行く。
 私たちは団結しなければならない。団結すれば、北朝鮮を自由民主体制に移すことができる。
 私たちが韓国、北朝鮮の国力を統一すれば、日本を克服することができる。

 従って力を集め、平壌を打って、列島を切らなければならない。
 我が民族1世紀の怒りを返さなければならない。

 チョン・ジェハク編集委員

補足、感想など

 まぁ、日本への呪詛と、なんともしれぬ怨念に溢れた文章ではある。
 こんな文章が堂々と韓国の新聞に載るのか。
 また、これを書いたのが、編集委員なのか。
 呆れてものが言えない。

 いや、いいさ。
 韓国は、日本がもう見捨て・縁切りした国家だ。
 関わらない、助けない、教えない—どうでもいい国家だ。

 また、1945年までの日本と朝鮮半島との間のいざこざ一切合切が1965年の日韓基本条約ですべて完全に解決済みだ。
 今更、日本は朝鮮半島との間でなにをする必要もない。
 謝罪? 賠償? なにそれ? 美味しいのか。

 日本・日本人のこれからの問題は、冒頭でふれた日本の中で、日本人の顔とふりをした朝鮮系洗脳工作員達をどう排除・放逐するか—という問題だな。
 今の経団連の会長が、朝鮮系洗脳工作員なのだぞ。(まぁ、元首相の菅さんもそうだが--
 「次なる150年」という日本の新レジームを構築するに当たって、真剣に考えなければならないことだな。