2015年7月15日水曜日

ヤケクソ韓国、好きにしろ—だとさ。

えっと。
 今年の春、ソウル大学の卒業生って、ほとんど就職がない—とかニュースで流れていたな。
 そんな状況で、表題にようなことを言うのか。

 いや、なんなのだろうなぁ。
 この感覚。
 火病を発症したか、韓国全体で--

 いや、日本も別に---としか反応しないが-
 お好きなだけ、火病を起こして、暴れまわってね。

 以下、新聞から抜粋。

 【コラム】安倍の謝罪? 望みもしない
 中央日報 715()

 放送されたJTBCの番組「非首脳会談」に日本代表として出演したn(20)は、 歴史問題をどう思うかという問に、「謝罪を受ける人が納得するまでするべきだと」と答えた。
 nの言葉、どこかで聞いた。日本の小説家、村上春樹 (66)が似た発言をした。
 春樹はインタビューで、「相手国が『もういい』という まで謝るしかない」と。

 nの言葉に中国代表が「友人になれそうだ」と歓迎、春樹の発言に韓国人は「さすが春樹」と言ってうなずいた。

 しかし私は春樹に同意できない。
 春樹の言葉は「日本は謝罪をした」という 事実を前提とする。
 謝罪はしたが、韓国が受け入れないため、謝らなければいけないと主張。

 本当にそうか。
 日本が謝罪したことがあったうか。
 謝罪であれ、「痛惜の念」であれ、日本はしたことがない。
 7月に謝罪し、8月に靖国神社に参拝するのが日本だ。

 政権が交代すれば手のひらを返すのが日本だ。
 評価される河野談話、村山談話もなかったことにするのが日本。
 こういうものは謝罪とはいわない。

 我々が怒りを感じているのは、謝罪を受けたことがないから。
 したがって前提が成立しないため誤った表現だ。

 日本が謝ったことがないため「謝罪するべき」という要求は正当だ。
 安倍首相が発表する終戦70年談話に「植民地支配」と「お詫び」という言葉が入るかに我々の関心が傾くのも当然だ。
 しかしこうした言葉が談話に含まれたところで、誠意なのか。
 日本の産業施設をユネスコ 世界文化遺産に登録することで、安倍談話はすでにその真意を表した。

 韓国政府との交渉で「労働を強いられた」という表現を入れた翌日、日本政府は強制労働を認めたものではないと。
 安倍談話に我々が何を期待できるのか。

 いっそのこと好きにしろと言おう。
 その代わり我々はするべき ことをしよう。
 慰安婦被害者が米国連邦裁判所に集団訴訟を起こすことに したように、法的救済手段をすべて動員しよう。

 日帝の蛮行を世界に告発する作業も、活発に取り組まなければいけない。
 長い 時間がかかるだろう。
 しかし方法はない。日本が謝罪しないためだ。

 日本は我々に36年の苦痛と70年の 屈辱を与えた。
 我々が強くなるしかない。
 亡くなっていく慰安婦被害者が 「私を忘れないでほしい」と涙を流しているために。

 キム・ジュンヒョン記者


補足、感想など

 は、は、は。
 完全に火病だな。

 記事の内容で、筆者が気に入っているところがある。
 それは、「日本は謝罪したことがない」--と。

 その通りだ。
 日本は、韓国に謝罪などしたこともない。また、謝罪する必要すらない。

 河野談話がどうたら、書いてあるが、あれなど日本にいる河野洋平さんなる朝鮮系工作員が、韓国本国にちょいと、アイソをしただけだ。<朝鮮人同士の仲間内の田舎芝居だと解するのが一番正しかろう>

 1945年までの日本と朝鮮半島との間でのいざこざ一切合切が、1965年の日韓基本条約ですべて完全に解決済みだ。
 謝罪? 賠償? なにそれ? 美味しいのか?  

 上のことにご不満なら、アメリカであろうが、国際裁判所であろうが—どこにでも訴えればいい。
 それこそ、お好きにしてね。火病もちさん。