2019年6月13日木曜日

ひきこもりは、本を読め、自己暗示をかけろ


いつも思う。
 ひきこもりの記事を読むたびに思うことは、ある日突然に、自分の子供がひきこもりの状態になったときの、親の周章狼狽ぶりだ。筆者はそれが気に入らない。

 親の方が、どうしていいのか分からない、ただただおろおろしているだけなのだ。(チェ、ボーとして生きてんじゃねーよ)
 一体、この親って何歳なんだ? 生きてきただけの年数の経験があるのだろう。
 自分の経験を踏まえて、親としてひきこもり状態に突入したこども達へアドバイスとかできないのか。

 表題で書いたごとく、ひきこもりの子供に向かって「どうしていいのか分からない時は、本を読め」とか「中村天風さんばりの自己暗示にかけろ」とか言えないものかなぁ。
 そりゃ、その方法でうまくいくとは限らない。
 でも。
 今まで、下降していたものを上昇方法へ転換させる可能性を有している。
 
 苦しくなった時、内側から支えるものが「教養」なのだ。そして、教養の根底にあるものが「読書、いやもっと言えば濫読」だ。
 「どうしていいか分からなくなったら、本を読め」「自分が無力て惨めでたまらなくなったら、中村天風さんばりの自己暗示をかけろ」とアドバイスするのも、経験を踏み、年齢を重ねたものだけがいえる「智慧」ではないのか。
 子供がひきこもり状態になったとき、回復への方向性を示し、アドバイスをしなければならないのは親ではないのか。
 本をかたっぱしから読め、自己暗示をかけろ---てなことを言うのは簡単じゃないか。
 
 ちょいと、ひきこもりの記事を抜粋。

 2019/6/13
 西日本新聞
 長期間引きこもり状態にある人や家族をどう支援していくか、課題になっている。当事者はどう感じているのか。
 仕事に失敗して以来、かつて20年近く自宅にほぼ引きこもっていたという大分県の男性(54)に話を聞いた。自立に向かうきっかけは、思わぬ出来事だった。
 残暑も終わり、涼しくなり始めた朝。目覚めると、家にいるはずの両親が見当たらなかった。
 寝具や食器は持ち出され、車もない。居間のテーブルには、わずか2行の書き置きが残されていた。
 ≪後のことは市役所に相談してください≫

 大分県北部の海沿いの地域で、男性と同居していた両親の行方が分からなくなったのは20149月。男性は当時49歳、両親は70代だった。
 「今後どう生きればいいのか」。男性は途方に暮れた。
 男性は20代の頃、東京で会社を起こし、広告関係の仕事に携わった。
 当初は順調だったものの、大きなプロジェクトの重圧に耐えられず、結婚を考えた女性とも破局。 
 身も心も疲れ切って、31歳で故郷に戻った。
 それからは定職に就かず、自宅で過ごす日々。知人の勧めで病院に行くと「不安神経症」と診断され、向精神薬を服用するようになった。
 経済的に余裕のあった両親に金銭を無心し、酒場に行く夜もあったが、ほとんど自宅にいた。
 母に「働いてほしい」と言われた時には、いらいらして冷蔵庫を殴ったこともある。
 男性は「18年間、病院に通いながらそんな生活を続けた。家族のほかに社会との接点もなく、意欲も失っていた」と振り返る。
 内閣府によると、半年以上、家族以外とほとんど交流せず、趣味の用事やコンビニなどにだけ外出する人は「広義のひきこもり」とされる。
 厚生労働省の担当者は、男性の生活状況について「広義のひきこもりにあたる可能性がある」と言う。
 両親がいなくなった後、男性は次第に「自分ではい上がるしかない」と思うようになった。
 思い切って市役所に相談に行き、生活保護の受給手続きをした。
 向精神薬の服用を断ち、仕事探しも始めた。
 現在は生活保護を受けず、派遣社員として働きながら、洋服や食料品の輸入販売にも携わっている。
 結果的に、両親と離れたことが自立のきっかけになったが、両親の真意は分からないままだった。 ある日、自宅を掃除していると、ノートに挟まったメモ紙が出てきた。そこには複雑な親心が記されていた。
 ≪行動を起こしてほしいと思っても、言えば暴れて手のつけようがなくなる。
 一番つらいのは本人かもしれませんが、家族はもっとストレスがいっぱいです≫

補足、感想など

  上でもふれた。
 ”「どうしていいのか分からない時は、本を読め」とか「自分に自信を失いかけた時は、中村天風さんばりの自己暗示にかけろ」” と言えば、必ずひきこもりから回復するというものではあるまい。

 でも。
 少なくとも、正しい回復への方向性を示したことになる。
 この部分が大事なのだ。

 子供がどうしていいか迷ったとき、自信を失いかけた時、上の正しい方向性を示せるということこそ、本来的な「親の価値」ではないのか。