2019年6月9日日曜日

なりたくて、ひきこもりになった訳じゃない—と


そりゃ、そうだろう。
 ほんのちょっとした「きっかけ」で、ひきこもってしまったということだろう。
 つまり。
 どうしていいか、どうすればいいのか—分からなくなったということだろう。

 だったら、と筆者は思う。
 本を読め。この本、1冊読めば、0.001ミリ前に進めると考えよ。
 たとえ1冊で0.01ミリであっても、年間600冊も読めば、ずいぶん前に進めるぞ。

 ひきこもり と読書家は両立しない。
 つまり、「多読する人間」は、「ひきこもり」にならない—ということだ。
 迷ったら、どうしていいか—分からなくなったら、「本を読め」

 以下、新聞から抜粋。

 「ひきこもりである以前に、みんなと同じ悩みを抱えたひとりの人間なんです」
 「40代以上の人間にとってこれから社会が変わろうと、絶望しか待っていないような気がします」
 ひきこもりの当事者や経験者の声です。
 川崎の殺傷事件に、東京・練馬の農林水産省の元事務次官が長男を刺した事件…。
 「ひきこもり」がキーワードになる事件が相次ぎ、ネットやマスコミには「ひきこもり」に関わる言説があふれています。
 いま、当事者のひきこもりの人やその家族たちは何を思っているのでしょうか。

 特設サイトに続々、ひきこもり当事者の声
 「川崎の事件、元事務次官の事件を受けていまさらひきこもりをどうにかしろという議論になり戸惑っています。仕事に就いていないことが悪みたいに報道されていましたが、挫折者にとって40代からの就労というのは地獄だと思います。なぜ日本は働こうとすると要求されるスキルが高いのか、考えるだけでつらいです。40代以上の人間にとってこれから社会が変わろうと、絶望しか待っていないような気がします」

 「『ひきこもり』という言葉自体が社会から疎外されている印象がある。なりたくて『ひきこもり』になったわけではなく、就職活動を何度も何度も繰り返して挑戦しても書類ほぼ落ちるのです。公的機関に相談しても逆に心身共に追い込まれたのが現実です」
 事件のあと、NHKの特設ウェブサイト「ひきこもりクライシス“100万人”のサバイバル」に寄せられた声です。
 去年のサイトオープン以来、ひきこもりに関する社会問題や新しい取り組みなどについての記事や動画を掲載してきましたが、先月、川崎の殺傷事件が起き、容疑者が「ひきこもり傾向にあった」と報道されたあと、次から次へとこうした意見が寄せられています。

 モンスターみたいに思われている
 多くの当事者や経験者は同じような思いを抱えているのではないか。
 ひきこもりの当事者たちが自身の体験や思いをつづる「ひきポス」という雑誌に記事を執筆している3人に事件についての思いを聞きました。
 そのうちの1人、30代後半の男性Aさんは、中学の頃のいじめがきっかけで10年以上ひきこもりました。事件について聞くと、「ツイッターの反応を見ていたら『中高年のひきこもり、およそ60万人は悪魔の予備軍』という反応が目に留まって。ひきこもりという存在が、部屋に閉じこもったままの、まるでモンスターのように思われているという…。これが一部の人たちだけでなくて、一般の多くの人がそう思っているかもしれないと思うと、絶望しました」
 男性はつらい胸の内を、そう明かしました。

補足、感想など

 ふ~ん。絶望ねぇ。
 まず、自分がなにをもっているか—考えてみよ。
 目が見え、指が動くのだろう。耳も聞こえるのだろう。足も動かせるのだろう。
 ならば、なんでもできる。

 冒頭でふれた。
 どう進めばいいのか、どうしていいのか分からなくなったら、「本を読め」。
 図書館へ行って、借りれるだけの本を借りて読めばいい。
 年間600冊、2年で1200冊、3年で1800冊も読めば、「自分でできるなにか」が見つかるさ。

 ネット上で、文章を書くなんて簡単じゃないか。本の感想文を書いてもいい。漫画を書くなんてことも簡単だ。
 家の前の道路を掃除するなんてことも簡単じゃないか。
 
 まず、できることから始めればいい。
 大切なことを繰り返したい。
 「迷ったら、どうしていいか—分からなくなったら、『本を読め』」