2018年1月4日木曜日

日本人は、中国人の無作法を批判するより、感謝すべきだと人食い中国人

まぁ、なぁと思う。
 英国の産業革命に200年も遅れる大ノロマ頭脳。識字率30%の国民の殆どが無学文盲。1960年代の文化大革命で、教養人等を殆ど抹殺した国民—だものなぁ。

 黄巾賊のような無頼の徒に毛がちょいと生えたくらいか。

 以下、中国の新聞から抜粋。

 日本を訪れる中国人旅行客は増加傾向にある。
 2017年1-11月までに日本を訪れた外国人旅行客のうち、中国人の数は679万1500人に達し、4分の1を占めた。
 中国人旅行客の消費は日本経済に利益をもたらしている反面、習慣や文化の違いから生じる摩擦も生じている。

 中国メディアは、日本のテレビ番組で中国人旅行客の「品のない振舞い」が報じられたと記事を掲載し、日本は中国人旅行客の消費で利益を得ているのだから「批判ではなく、むしろ感謝すべき」であると主張。
 記事での中国人の品のない振舞いとは、「許可も取らずに写真撮影をする」こと。
 多くの中国人はスマートフォンを所有し、そのカメラで民家や店の店内などの写真を撮影をする。 そうした行為が、日本人の生活に影響を与え、違法行為でもあることを紹介。

 次に「子どもにトイレではないところで小便をさせる」ことだ。
 中国では普通に見られる行為だが、記事は日本は衛生環境に対する意識が高い国なので、こうした行為が日本人を困惑させていると紹介。
 ほかにも「ゴミやタバコの吸殻のポイ捨て」、「神社仏閣で子どもが走りまわったり、建物に向かって石を投げつけること」、「路上でスーツケースを広げること」、「販売している食品を直接手で触ること」、「靴やスリッパを履いたまま畳の上を歩くこと」が中国人旅行客の品のない行為として紹介。
 対して、出演していた中国人の見解として「中国人旅行客は日本で1年間に1兆4754億円も消費している」と伝え、日本人は中国人に感謝すべきではないかと主張。

 中国人観光客は確かに日本の観光業界に利益をもたらしている。
 だが、それは渡航先で好き勝手に振舞ってよい理由にはならない。
 今後、日本を訪れる中国人は増加することが予想されるが、嫌な思いをしないよう日本のマナーなどを前もって学んできてもらいたい。

補足、感想など

 この中国人の「言いざま」は、まさしく黄巾賊ばりの無頼の徒の「セリフ」であろう。
 識字率30%では、まともな「教養人層」すらも生まれないか。
 この中国人のもつ「無頼さ」についての文章があった。

 --ここから--

 中国が絶望的な格差社会で、その格差は、四千年の歴史を通じて、ずっと格差社会だったということ。
 格差が極端なのは、一つは国土が広すぎること、もう一つは、人口が多すぎることが、その原因であり理由になる。
 格差がもっとも凝縮して現れるのが教育である。
 教育は幼少期からの早期教育が有効である。
 そして社会が貧しいほど、子どもは労働力とみなされ、まず子供に教育なんかほどこさない。
 そうなると必然的に教育を受けられるのは、元来教育に熱心な裕福な家庭の子弟に限られる。
 必然的に教育は豊かな家庭内における相伝の家の伝統となり、この伝統を持つ家柄を名門と呼んだ。

 そして、血筋や家柄をかさに着て、勉強も出来ないくせに威張り散らす。
 こういう出来損ないの弊害をなくすために発明されたのが、科挙であった。
 元々は名門一族が、富と家柄で支配した権力を、実力試験を突破した優秀な人物に交替させようとしたのが科挙。
 科挙が課した受験地獄は半端なものでなく、基本テキストの四書五経だけで四十万字の漢字からなり、これに解説書などを加えると数百万字に達する。

 それを全部丸暗記し、その知識を踏まえて文章を書き、要所要所で古典の知識をひけらかさないと、「教育がある」ことにならなかったので、膨大な読書と時間を勉強に費やさねばならなかったが、これとが出来る家庭は限られてくる。科挙導入前の昔に戻ったのである。
 そして、この「古典の教養をひけらかさないと教養があるとはみなされない」という伝統は、弊害をもたらす。
 近代である。近代になって中国は西洋との対決を迫られる。科学、軍事の面で、中国は西洋に差を付けられてしまった。

 社会制度も中国は旧態依然たる政治制度の泥沼の中を徘徊し、西洋が発明した議会とか、民主主義などは、想像もつかない別世界の出来事だった。
 日本は、そういう「西洋の衝撃」に直面し、社会が丸ごと西洋を脅威とすごさを理解し、「蒸気船、たった四杯で夜も眠れず」という状態に陥ったが、中国は、西洋の衝撃どこ吹く風の、文字通りのパイプドリームにふけっていた。

 そこに鉄槌を食らわせたのが日本だった。
 西洋の衝撃を受けた日本人は、直面して、西洋人の書物を読みふけり、そこで得た、これまでとは全く異なる知識、概念を、中国から輸入した漢字を使って続々と翻訳し、広めていった。
 こうした作業の中心にいたのが福澤諭吉や箕作麟祥らの洋学者だった。
 人民や、共和国、銀行などは、すべて当時の日本人が考え出した「新語」である。
 同じことが中国人には出来なかった。

 それまで中国になかった西洋オリジナルの斬新な概念を中国の古典の言葉に置き換えていく作業を重ねていくうち、何時しか西洋の概念が中国に昔からある概念に置き換えられ、その意義も価値も忘れられていった。
 こうして「中国こそは世界の中心であり、至高の文明を持つ大国である」という自惚れだけが強化され、自己変革も自己革新の必要性も忘却されていった。
 これに、危機感を募らせたのが梁啓超で、彼は日本に亡命するや、福澤や箕作が生み出した膨大な数の「新語」を読み、西洋の衝撃と、それによく耐えて咀嚼した日本のすごさを理解し、日本人が発明した膨大な数の漢字を使った「新語」を中国に逆輸出した。
 こうした日本人発明による膨大な数の漢語は、あたかも現在の日本に氾濫するカタカナ語の感覚で、徐々に中国に受け入れられていった。

 要するに日本が近代化に成功し中国が近代化に失敗して、日本含む西洋各国の植民地に転落していった最大の理由は漢字という言葉にあった。

 こうした中国の伝統は今も続いている。
 中国の社会は上から下まで腐敗しきっているが、それも中国人の伝統なのである。なぜ中国の官僚は賄賂をとるのかと言えば、正規の給与では食えないからである。
 中国の政府の徴税能力は非常に低く、税金を集められない以上、国家官僚に支払える給与も雀の涙しかなかった。しかし、官僚には膨大な権限が与えられている。
 そこで中国の官僚は与えられた権限を金銭に換算して生活する道を見つける。
 一定の金銭を払いさえすれば、無理なはずのことが可能になったりする。

 中国の社会は、表面を見ると目まぐるしく変わっている。清朝が倒れて毛沢東率いる中華人民共和国が建国された。その共産主義中国でも大躍進、文化大革命を経て、改革開放へとむかい、今にいたる。
 けれど、「その経過を貫いていたのは、中国の言動を根底で枠づける社会構造、論理枠組の本質が、いかに変わらなかったか、という事実ではなかろうか」と。

 --ここまで--

 なんやかんやとあるが、結局のところ、中国人って、「漢字に圧し潰された民族」ということか。
 この漢字ゆえに、いまもって識字率30%であり、漢字オンリーの漢文では、複雑な概念を他者に正確に伝えることができず、それ故に、いまもって不合理性、非科学性が大手を振るってまかり通っている国家となっているということだろう。