▲残存する戦後レジームの最右翼たる日刊ゲンダイが、原発行政を批判している。
その批判の仕方が、表題だ。
自分さえ良ければいいのか—か。
はて。
これが批判になっているのか。
原発については、このブログで何度もなんどもふれた。
核心部分は。
1.現在時点で、原発に代替するだけのエネルギー発生源がないこと。
2.仮に潮力などが実用化されるとしても、もう数十年はかかること。
3.その数十年の間は、原発以外に頼るべきエネルギー源がないということ。
---だ。
で。
いま、上で列挙した項目のどの部分が、「自分さえ良ければいい」となっているのか。
これは。
批判ではないな。
単なるいいがかり—だ。
以下、新聞から抜粋。
「脱原発」を掲げ、都知事選出馬を表明していた細川元首相)が、22日正式な出馬会見を開く。
支援を買って出た小泉元首相は「都知事選は“原発ゼロでも日本は発展できる”というグループと、
“原発なくして日本は発展できない”というグループとの争いだ」と言い切った。
今度の都知事選で誰が当選するかによって、
日本の未来は大きく変わる。
細川・小泉連合が勝てば、「革命」が起こる。
そう言ってもいいくらいだ。
なぜなら、「原発ゼロか、否か」は単なるエネルギー問題だけでなく、この国の行く末を左右する壮大なテーマになるからだ。
脱原発か否かの議論を重ねていけば、必ず「これからの日本の姿はどうあるべきか」という問いにたどりつく。
「今、自分たちさえ良ければいい」のか。それとも、「核のゴミを残さず、クリーンなエネルギーを目指して、将来の繁栄」を見据えるのか。
あるいは、現状の既得権益を守るのがいいのか、ゼロベースで見直し、新しい成長分野を探すべきなのか。
こうした議論を深めていけば、国の在り方、統治のシステムにまでテーマは拡大していくのだ。
▲補足、感想など
なにかもっともらしい言い方をしているが、中身などなんにもない記事だ。
原発がどうしたこうした—という枝葉の議論となっているから核心を逸らしてしまうのだ。
本質の部分は、日本という国を支えるだけのエネルギー源はなにか—ということだ。
だから。
原発に代替するだけのエネルギー源があれば、そっちへ移行すればいい。
それはそのとおりだ。
記事で書かれていることは、技術というものを軽視した机上の空論に筆者には聞こえる。
技術に一足飛びということはない。
冒頭でふれたように、太陽光であれ、地熱発電であれ、潮力発電であれ、原発に代替するだけのエネルギー発生源となるまでには、もう数十年かかるのだ。
そこまでの期間、エネルギーをなにに頼るか—ということが、記事の核心部分だ。
そのことを抜かして議論しても、単にお伽話であり、空理空論というものだ。
だから。
原発をゼロにするか、さらに改良するか—というのは、もう数十年後、他のエネルギー源と比較しつつ、国として選択することだ。
それまでの間、エネルギーは原発に頼るしかない。
そのことを、日本の国民は直視すべきだ—ということだ。
お伽話をいくらしゃべっても、日本という国を支えるだけのエネルギー源をみつけることはできない。
原発を再稼働して、日常の生活を維持しつつ、新エネルギー発生源を実用化する-という地道な努力を続けるしかないのだ。