2015年1月31日土曜日

日本がイスラム国に翻弄される—とさ。

これは、オオカミ少年だな。
 オオカミが来るぞ、オオカミが来るぞ---と連呼しているのだ。

 数回も言えば、皆もう飽きてしまう。
 日本人は特に飽きやすい。
 そのうち、記憶にも残らなくなる。

 なんというかなぁ。
 非日常というものは、一瞬の「驚き」でしかないのだ。
 もし、それが「恐怖」という名称のものであっても。

 すぐに日常の中に溶け込み、恐怖でもなんでもなくなる。
 つまり、脅しが脅しではなくなるのだ。

 特に、日本ではそんなあぶないところに自分で勝手にいったのだ—という自己責任論が強い。
 もう、数日もすれば、非日常 → 日常に戻って、えっそんな話があったのか—てなことになってしまう。

 こんな日本人を翻弄できるものか。

 以下、新聞から抜粋。

 さもなくばケンジが次だ」――。
 拘束されている後藤健二氏の妻は、英語の音声メッセージを発表。
 イスラ ム国からヨルダンで収監中の死刑囚の釈放を世界に訴えるよう要求されたを打ち明けた。

 解放交渉は膠着状態。
 渦中のヨ ルダン軍パイロットの安否次第で、事件はさらなる長期化の様相を呈しつつある。

 妻が声明を発表したのは、イスラム国が交渉リミットとした「29日の日没」の2、3時間前。
 拘束動画の公開以降、犯人側から何度 もメールが送られてきたことを明かした。

 声明を発表した理由を「夫を拘束した組織から最後とみられる要求が送られてきた」ためと説明したが、死刑囚はまだヨルダン国内にいる。
 殺害を予告されたパイロット、カサスベ中尉の安否も依然としてつかめていない。


▲補足、感想など

 オオカミ少年の話の結末はどうだったのかな。
 最後にはオオカミが村の家畜を襲うのか。

 冒頭でふれた。
 非日常の興奮というものは、長くは続かない。
 すぐに、通常の日常に戻ってしまう。

 「オオカミが来るぞ」--と側で大声で叫ばれても、「あっそう」てな対応になる。
 これが、不人情か?
 そうではあるまい。
 こういう対応が普通なのだ。そうでなければ、通常の生活が維持できないからだ。

 だから。
 イスラム国は、繰り返し言えばいい。
 「オオカミが来るぞ」と。

 日本人は答える。 「あっそう」。