▲言論の自由か--。
そのとおりだろうな。
だから、思ったことを言えばいいさ。お好きにどうぞ。
ただ。
2014年という年は、戦後レジームというものが完全に崩壊した年だ。
だから。
日本人全員が、日本の新聞放送業界が朝鮮系洗脳工作員達によって、牛耳られている世界だということを知っているし、当然、この日刊ゲンダイでこういう記事を書いている記者も、朝鮮系だと知っているということが「話の核心」なのだ。
同様に、歌手のなんとかという人も、朝鮮系だと日本人全員が知っているということが、核の部分なのだ。
だから。
様々なパフォーマンスが、朝鮮系の人間の「日本を・日本人をなんとしても、卑しめてやろう」という行動としか、日本人には見えない—ということだ。
そこに、日本人は不愉快・嫌悪を感じる。
それも、言論の自由だって----。
だから、お好きなように、すればいいこと。
ただ、日本人は彼らの行動の原因も理屈も知った上で、更に不愉快・嫌悪となるだけだ。
以下、新聞から抜粋。
世界中が言論の自由のために結束しているのに、この国だけが逆行している。
そう思わざるを得なかったのが、サザンオールスターズの桑田佳祐と爆笑問題の謝罪である。
桑田と所属事務所のアミューズは、NHK紅白歌合戦での中継で見せたパフォーマンスについて、
「配慮が足りなかった」「不備があった」などと謝罪。
爆笑問題は、「政治家ネタは全部ダメと言われた」ことをラジオのレギュラー番組で暴露、NHKの圧力として、大きな話題になったが、「政治ネタを言うなというのは、打ち合わせの段階で僕らは了承しているし、NHKでなくても民放でもある」などと弁明。
「言論統制なんてない」と、軌道修正した。
桑田のパフォーマンスなんて、目くじら立てることではないのに、謝罪に追い込まれたのはネトウヨを中心に批判が集中したからだろう。
爆笑問題については籾井会長が会見で「個人名を挙げてネタにするのは品がない。しゃべる人も品性や常識があってしかるべき」と語ったことも無関係ではないはずだ。
2人とも芸能界では大物なのに、こうした“圧力”にすぐに反応する風潮って何なのか。
言論の自由も何もないじゃないか、と思ったら、NHKは紅白を配信した際、桑田の場面をカットしていた。
NHKに理由を聞くと、「権利の関係などにより、部分的に配信しないことがあります」と答えたが、
NHKが期間限定で「配信させてくれ」と頼んで、断る事務所があるだろうか。
桑田が紅白で歌った「ピースとハイライト」は明らかに安倍政権の近隣外交に警鐘を鳴らしたメッセージソングだ。
ネトウヨは「サザンの電波ジャックだ」と騒いでいた。
それだけに配信カットは見過ごせない。
ジャーナリストの鳥越俊太郎氏はこう言った。
「彼らが謝罪したのは本人の意向なのか、事務所が“わずらわしいから”とやらせたのかは知りません。とはいえ、枠からちょっとでも外れたことを言うと、突出してしまい、こうした事態に追い込まれるのは実にイヤな風潮です。
フランスの風刺画については、ちょっとやりすぎと思ったが、日本は自主規制なのだから、もっとヒドイ」
日本は今や、言論の自由において、北朝鮮以下である。
▲補足、感想など
ほぉ、北朝鮮以下か。
同じ民族をけなしてどうする。この記者は。
血はなんとかより濃いのではないのか。
こういう記事を読んで感じるのは、戦後レジームという「日本人洗脳工作」を担当していた朝鮮系洗脳工作員達の「なんともしれぬ、じめっとした陰湿さ」だな。
そんなに暗闇に潜んで、日本人の名前を使い、日本人のフリをして、日本の世論を誘導することが、楽しかったのか、面白かったのか?
歌手のなんとかもそうだ。
これだけ、日本人の支持を受けても、なお、日本人を・日本を卑しめたいのか?
もう、そこが分からない。
なにか、dna
レベルの「非論理性・非科学性」なのだなぁ。環境とか教育なんぞというものとは、別の話なのだな。
朝鮮民族という民族から、誰一人として偉材・逸材を生み出さない--というのは、こういうdnaレベルの理由がありそうだな。
福沢諭吉が、朝鮮人には関わるな—という意味がやっと理解できる話ではある。