▲追い詰められて追い詰められて →更に、瀬戸際へ。
日本から見捨てられ、アメリカからも見捨てられた国家—韓国。
日本における「戦後レジームの崩壊」--というものが、韓国へどれだけ過酷な現実を迫っているかがよく分かる。
しかし。
はっきり言えば、韓国国民の「身からでた錆」、なにもかも自己責任であろう。
今こそ、自己責任ということが、胸の底の底に落ちるときであろう。
そのトコトン追い詰められた韓国が、日本の「靖国神社参拝」がどうたら—と言っている。
日本から「金を巻き上げる理由」「タカリのネタ」を失うまいと必死なのだな。
でも。
上で触れたように、日本は韓国という国を、韓国人という国民を見捨ててしまっている。
もう、靖国神社がどうたら、教科書がどうたらなんて、なんの関係もない。
こっち見んなよ。
日本の国民のことだ。韓国となんら関係のないことじゃないか。
以下、韓国の新聞から抜粋。
外交部は日本政府が靖国神社参拝を正当化しようとする試みについて歴史退行的な動きという
立場を明らかにした。
外交部は立場資料を通じて「日本政府が総理の靖国神社参拝を正当化する答弁書を過去
に続き、また再び閣議決定したことは日本の指導者らに靖国神社参拝をそそのかす、もう一つの
歴史修正主義の歩み」と非難した。
これと共に「終戦70周年をむかえ日本帝国主義の誤りを痛切に反省しなければならない時に、日
本政府がずっとこのような歴史退行的な動きを見せるなら、周辺国との真の和解と協力は遠ざか
り、国際社会からの孤立も免れないだろう」と強調。
▲補足、感想など
日本の孤立ねぇ。
日本に見捨てられ、アメリカにも見捨てられた国---韓国が言うようなセリフか。
今、世界は日本とアメリカとの2強時代(あぁ、謙虚に1.5強と言った方がいいか)だ。
中国は、不動産バブル崩壊寸前だ。
そのタイミングで、世界の2強から「見捨てられた国家」がどうなるか—火をみるより明らかだ。
韓国という国は。
日本から見捨てられ、アメリカにも見捨てられると「こうなる」--という見本となる国家なのだ。
まぁ、いい意味ではないが反面教師的「モデル国家」である。
冒頭でふれた。
日本は韓国という国を見捨てた。だから、無視、無関心の対象なのだ。
靖国神社の参拝がどうたら—なんて、お好きなだけ言ったら。
お気に召すまま、ご勝手に、どうぞ、どうぞ。